何のために走るのか…
「何のために」から解放されたいから…
何が楽しいのか…
身体が喜ぶから…
身体とは何だろう…
それは「私」ではない…
自然と不可分のもの…
ランニングは「私」の麻痺だ…
「私」の緩和が身体を癒す…
心と身体という対比ではなく…
精神と肉体という対比でもない…
心、精神とは、身体のひとつの在り方ではないだろうか…
「私」と身体という対比が馴染む…
「私」との対話ではない…
「私」と向き合っているのでもない…
「私」を消そうとしている…
負荷が必要なのだろう…
「私」を壊すために…
もしアイデアが浮かぶのなら…
それは「私」が緩んだ瞬間に訪れるているかもしれない…
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