Die acht Todsünden der zivilisierten Menschheit
Konrad Lorenz
◼️2 生活空間の荒廃
「動物、植物、そして菌類という三種類の生物は、すべて巨大な歯車に組み込まれているので、それぞれの環境に適しており、そしてこの環境にはその場所の無生物的な要素ばかりでなく、当然ながらその他の生きている住人のすべてが含まれている。だから、ある生活空間の生物はすべて互いに適応し合っているわけである。このことは、たとえば捕食者とその獲物、食うものと食われるもののように、みかけの上では互いに敵対しあっている生物たちにもあてはまる。もっとよく考えてみると、生物を個体として見ずに種として見るとき、それらが互いに傷つけ合っているどころか、しばしば利害共同体を形成していることがわかる。」(p25)
バタイユが「水の中の水」と例えていたこと…
「何も知らないものは、自然や自分自身に対する罪人となっていながら、「行為者」つまり下手人たることをいまだに誇っている。…文明人は自分をとりまいている自然、自分を養っている生きた自然を盲目的かつ野蛮に荒廃させることによって、自らを生態学的に崩壊させるおそれがある。」(p31-32)
「ドイツのどこかの都市の古い中心部とその近代的な周辺部とを、あるいは周囲の土地に急速に侵入しつつある文明の汚れとまだ文明に手をつけられていない村落とを、よく見比べてみよう。それから今度は、体の正常な組織の組織学的な像と、悪性腫瘍の組織像とをくらべてみよう。すると、そのおどろくべき類似に気が付くであろう! 客観的に考えれば、そして美学を計算可能なものに翻訳するならば、こうした違いは本質的には情報の喪失に基づいているのである。悪性腫瘍の細胞は、体という利害共同体の中で有用な環としての自分の役割をはたすに必要な遺伝的情報を失ってしまっているという点で、正常細胞とまず第一に区別される。それゆえ癌細胞は、単細胞動物のように、もっとうまく言えば若い胚の細胞のように振る舞う。がん細胞が特殊な構造を欠いていて、際限なくでたらめに分裂する結果、ガン組織はまだ健全な隣の組織に侵入して内部で成長し、その組織を破壊する。」(p31-32)
そう思いたくないのだけど、人類と癌細胞の振る舞いは酷似している…もちろん、嫌悪の対象になりやすい利便性だけではなく、好きな街並みとか、好きな車とか、そういうものもある…でもそれはこの社会の中で生きている限りにおいて、この社会の魅力(恩恵)として或いは原動力として育つものだ…恩恵依存症…どこかに歪みがきている…放棄することも後戻りもできないが、手放しで受け入れるわけにはいかない…