ウィトゲンシュタイン、最初の一歩(2021)
著 中村 昇
*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…
■ 28 嘘をつくということ
■ 29 デリダとウィトゲンシュタイン
オースティンが寄生的と呼んだものは、逆に本質に触れるものなのかもしれない…人は作られた世界で作られた役を演じる…普段「現実」と呼んでいるものも作り物(虚構)だ…音楽の世界も同じこと…音楽は現実ではないというのが通常の言葉遣いだろう…しかし音楽も(虚構という)現実であり,むしろ純度の高いもの(エッセンス、典型、象徴…)としてあるものなのかもしれない…デリダの言う「反復(反覆)可能性」は音楽にも当てはまる…
「私」とは分かりあえないことの証…
言葉や音楽はその叫びみたいなもの…
作品とは独り言でもあり遺言でもある…
https://hitkeas.com/2017/08/19/parole-ecriture/
■ 30 ハイデガーのこと
沈黙するのか語るのか…ドゥルーズはヴィトゲンシュタインを哲学の暗殺者とまで言ったらしい…いずれにしろ哲学は作品だと思っている…それぞれの叫びだ…科学は業績ではあっても作品ではない…仏教も作品ではない…教義であり実践…
■ 31 フロイトの弟子
ヴィトゲンシュタインはフロイトを批判する言葉も残してはいるが、無意識による解釈に自分の理論を重ねてもいたようだ…
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「論理哲学論考」を村上春樹風に読み替えるなら…
”語れることについて語るときに僕の語ること”
だろうか…