Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 22 確かなもの
■ 23 疑うことと信じること

動物性のものを口にしたくはないし、誰もがそうあって欲しいと思っている…しかし例えば納豆は付属のタレをつけるし、市販のパンやアイスも食べる…お惣菜の野菜コロッケも食べるし、レースのときは現地のうどんも食べる…ほかは徹底して動物性を避けているが、デカルトの「方法的懐疑」に倣うと、完璧でない自分の菜食はすべて無駄だということになる…ヴィーガンにしろ肉食者にしろ、こう考える傾向はある…できることにフォーカスしたい…そこから広げることもできる…

■ 24 人類は月に行ったことがない
■ 25 二つの「論理」

情報化社会はヴィトゲンシュタインの言う「蝶番命題」を強化するように見えて逆に脆弱化させているように思える…誰もが様々な情報を取得し、誰もが自分の主張をするようになった…反面、何が正しいのか分からず警戒心や寛容さを身につけていたりもする…世の中の変化も速い…潜在的な情報の在りようをある意味顕現化するものとして選挙があるが、いま、ワクチン接種が同様の状況を作り出している…やはり「蝶番命題」は緩くなってるのではないか…常識が揺らぐのは悪いことじゃない…しかし拠り所の減少は混乱を意味していないか…それに比例するかのように倫理がバランスをとろうとしている…倫理が暴力性を帯びるシーンが増えているような気がする…

■ 26 宗教とウィトゲンシュタイン

ヴィトゲンシュタインの場合、目の前に戦争があった…もし目の前にエベレストがあったら…戦場の最前線とエベレスト登頂は似てないだろうか…ヴィトゲンシュタインが望んだものという切り口で考えたなら…

■ 27 顔

動物と動物を隔てるものはないしかし「人と動物」或いは「人と人」の間は閉ざされている「私」が介在しているからだろうただし人は動物に対して曝け出すことができる自然の中を走るときの解放に似ているコステロは動物には「顔」が無いと言っていた「顔」は「顔」をずっと見れない見ることを見られる見られることを見る何かが剥き出しになっている