遺伝子操作や培養技術は神の領域なのだろうか…
弓矢や斧、農耕、牧畜、道路や家屋…「操作」は文明とともに始まっている…
隔てるものはない…昔から行われてきたことだ…
何が違うのか…
私たちの生活環境を脅かすようになったとき…
倫理規範や社会構造を脅かすようになったとき…
例えば環境問題は自分たちの生活が脅かされてはじめてようやく目の前に現れてくる…実際はずっと前から水面下で進行していたものだ…技術の問題にしろ環境の問題にしろ、一定の行為が繰り返されている過程で、それがあるとき「問題」として浮上する…何かがリミットに達しようとしたとき、人は気づき、抵抗を感じる…しかしリミットがないと問題化しないことも問題ではないのか…
人の文明的行為の本質は変わらない…恩恵を得る代わりに何かを犠牲にしている…何かを狂わしている…人が感じるリミットは当然人の中だけにある…人にしか分からない…人の都合で問題化する…しかし技術の本質はリミットとは関係ない…その本質は歪みだ…
地球にとって人類は癌のような存在だ…
どんな生き方があるのだろうか…
技術を捨てることはできない…
SDGsは経済成長や技術革新を推奨している…
「緑の革命」と同じ…
薬で健康維持するようなもの…
資本主義だけが悪いわけではない…
理性や科学が主導権を握っている…
世の中は強者の論理で動いている…
きっと別の態度が必要なのだと思う…
理性は答えを失っている…いつも答えと違う方向を向いている…
理性が理性の本質に気づくことが必要なのだと思う…
自然が教えてくれることに耳を傾けること…
態度と感性、そこから生まれるものを信じたい…
それで馴染む世界が自分たちの棲家ではないだろうか…
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