ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇
*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…
■ 1 哲学というのは、独特の感覚が出発点です
■ 2 私は世界だ
私という肉体がこの世に生まれた日(少なくとも自分で外気を吸い始めた日)ははっきりしている…しかし記憶を伴った「私」という存在はおそらくぼんやり始まったはずだ…「私」と「世界」はセットだ…「世界」は「私」とともに始まり「私」とともに消える…動物にも「私」があるように見えるがそれは本能に依るもので恐らく「私」は不在なのだろう(例えばイルカやボノボには「私」の萌芽みたいなものがあるのかもしれないが)…動物は自然であり、自然には答えしかない…理由や原因はない…理由を作る(見る)のは「私」であり「私」は「世界」を作る代わりに答えを失った…理性や思考は答えを失った状態に寄り添っているものだ…答えのある状態に理性や思考はない…「私」と「世界」の出現と「答え」の消失は人類最初の恩恵と犠牲なのだと思う…「私」のそばにはいつも「死」がある…「生」と「死」は別物なのではなく、同じものの別の側面だ…「私」とは一種の勘違いみたいなものだ…
バタイユの言葉…
死はこの世がまやかしであることを暴露する…
突如として現実世界が嘘であることを告げる…
(「宗教の理論」より)
■ 3 論理
思考そのものに主導的要素はない…ほかの何かに主導権を握られている…例えば神、権力、立場、欲望、損得、怨恨、気分など…思考は計算装置以上のものではない…常に合理的だ…それは答えを失ったから始まったもの…いわゆる自然界には無いが、一切と言う意味での自然の外にあるものではない…思考自体(骨組み)は触れることのできない領域だろう…それは自然という聖域にある…
■ 4 物理法則など
ブレイクがニュートンを皮肉った絵がある…「ニュートン」という作品だ…現代は理性と科学の時代と言える…この傾向はずっと続くのだろうか…ヴィトゲンシュタインは法則を「仮説」と言っているらしい…人は答えを失った…理由だけを作り続けている…
■ 5 倫理とは何か
■ 6 絶対的なもの
■ 7 絶対的なものと言葉
倫理とは、一定の集団が維持される時、ルールや法とは別に構成員の中に育つ何かだろう…それは様々な比較を通して自分や他者に要求する何かだ…極論を言えば損得を善悪にスライドさせたもの…善悪とはまるでこの世界に普遍的にあるもののように振る舞うがそんなものは無い…素材としての「かわいそう」や「殺したい」などが絡み合い、普遍性を装いながら自分や他者に要求するもの、それが倫理とかモラルというものだ…もちろん倫理を捨てようとか言う気はないが、その本質を見極めて少し距離を置くのがいいのではないだろうか…人は自然な感覚を失ったわけではないと思う…その自然な感性を信じたい…その感性はそれだけで十分なものだ…倫理はすでに深いところに根ざしている…すでに重層化している…いつもすでに絡み合っている…自然な感性は不透明でねじ曲がったものに変質してしまっている気がする…
倫理とは「語りえないもの」なのかもしれない…本来そうあるものだろう…その核心には絶対性がある…しかし人は「語りえないもの」を実際には「語る」…それは「語りえないものを装う」行為だ…そうやって絶対性を装い強要する装置と化したものが倫理ではないだろうか…だから時に暴力性が顔を出す…
■ 8 死
理性は自らの「死」を理解できないのだと思う…この章で語られる「絶対に安全であると感じる経験」と重なるものを感じる…理性とは「私」とともに現れた世界を構築する能力なのではないだろうか…変化し続けている世界から理性は「それ」を抽出する…切り出す…定置させる…同じように「世界」も作る…その世界は自分が死んでもずっと続くものとして定置される…「私」も同じように定置されたものだ…「私」が死ぬという理屈はもちろん理解できる…しかし理性はいつも固定する方向を向いている…「死」とは理性から漏れていくものではないだろうか…
■ 9 語りえないもの
ヴィトゲンシュタインは神や倫理について「語りえないもの」としながらも、それは「示す」ものだと考えていたらしい…自分の言葉遣いなら、倫理とは「語りえないものを装っている」だけであって「語らない」どころか思い切り「要求」するものということになる…ヴィトゲンシュタインの「示す」は「自分に対する要求」の実現のケースだ(それで済むケースもある)…だから語っていないだけ…倫理は聖域なんかじゃない…ただし聖域を「装っている」だけに扱いにくいのは確かだ…「語りにくいもの」ではあるかもしれない…「語りえないもの」とは例えば「かわいそう」などの「無償の感覚」ではないだろうか…そこは聖域だと言える…
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言葉は虚構なのだと思う…
虚構とは答えの無い世界だ…
考えることは虚構から外に出れないということ…
語れないものは自然そのものであり聖域と呼びたい…
聖域とは自然であり答えであり思考から漏れるものだ…