THE VELVET UNDERGROUND

The Velvet Underground(2021)
監督 トッド・ヘインズ

JONAS MEKAS(1922-2019)
ANDY WARHOL(1928-1987)
NICO(1938-1988)
LOU REED(1942-2013)
JOHN CALE(1942-)
STERLING MORRISON(1942-1995)
MAUREEN TUCKER(1944-)
DAVID BOWIE(1947-2016)

ヴェルヴェッツの映像は YouTube を探しても何もでてこない…この作品の価値はそのへんにある…映画はジョナス・メカスとウォーホルの撮った映像が多くを占めている…ジョナスは3年前に96歳で亡くなっていた…唯一観たジョナスの作品は「時を数えて、砂漠に立つ」だ…マイルス・デイヴィスとジョン・レノンがバスケットするシーンが収められていた…何回投げても入らないマイルスが意外だった…

教授のサウンドストリートにゲストで来ていた BOWIE のリクエスト「Here She Comes Now」が初めてのヴェルヴェッツ体験だ…外し気味の鼻唄のようなヴォーカルに唖然としながらも曲は不思議な魅力を放っていた…ラジカセで録音したおかげで何度も聴くことができた…ファースト「…& NICO」を聴いたのはそのあとだ(WARHOL を知ったのはそのときだろう)…時が経ってアルバム「White Light / White Heat」で「Here She Comes Now」に再会した…収録されていることを知らなかったので不意をつかれて身震いした…

自分にとってのヴェルヴェッツは初期のこの2作に集約されている…つまりファンとか理解者と言うには程遠い(そもそも自分は反対側の臆病者だ)…それでもこの2作で腹いっぱいだし何の不足もない…今でも普通に聴けるし輝きを失っていない…リードはウォーホルやニコが邪魔だったとか言ってたようだけど、リードが褒めたり讃えた人ってバロウズぐらいじゃないの?(そう、ローリー・アンダーソンとの共通項にバロウズがいた)…とにかくこの2作に他のものを混ぜたくない…そんな気持ちだ…

現在のジョン・ケイルやモーリン・タッカーのインタビューも貴重だ…よくリードとモーリンが一緒にバンドやってたなと思うけど、ふたりは解散後もクリスマス・カードを交換する仲だったらしい… モーリンはスターリングの死がとても辛かったと振り返っている…不仲と言われたジョンとリードも後年結局一緒に仕事してるし…4人は互いに戦友でありファミリーみたいな存在だったのかもしれない…

監督のトッド・ヘインズは自分より5歳年上だ…先に BOWIE を聴いてたらしいので自分と同じでヴェルヴェッツを後追いで聴いている…トッドは以前も BOWIE や DYLAN の映画を撮っているがそれらは意図的にフィクションにしていた…今回はドキュメント…もし俳優を立てたノンフィクションなら観てないだろう…映画「ボヘミアンラプソディ」も観てない(観たくない)…アニメの実写化みたいで…この映画はヴェルヴェッツとウォーホルとジョナス(それとニコ)のドキュメントだ…リードが生きてたらいつものようにケチつけてたかもしれない…

世の中をもっと単純に考えることもできる…人は家畜と同じで囲いの中にいる…家畜は恩恵を得る代わりに自然な生き方を忘れてしまう…そこは歪みが生じる場所だ…社会は暴力や貧困や病気やゴミを吐き出しながら生き抜こうとする…そこで勝ち抜くこと(社会の肯定)は何を意味しているだろうか…肯定しないと食べていけない(餌をもらえない)世界に住んでいるのだけど、しがみ付いているだけでは価値は見出せない…

壊すこと…捨てること…
きっと価値はそこにある…
それは修復あるいは回復なのだと思う…

「時を数えて、砂漠に立つ」はオノ・ヨーコの娘さんである京子さんがポスター用のスチルを飾っている…パンフにはナム・ジュン・パイクの名前も見られるが全く記憶にない…

こうやって見ていくと、過去に貰った刺激がどれだけ財産になっているのか問いたくなる