Le Père Noël supplicié

火炙りにされたサンタクロース(1952)
(「われらみな食人種」所収 )
著 クロード・レヴィ=ストロース
監訳 渡辺公三
訳 泉克典

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021121600184&g=int

ディジョンでサンタクロースが火炙りになったのは1951年…アメリカから輸入された慣習への反発だった…聖職者たちは降誕祭の宗教的価値が薄れつつあることを憂いていた…しかしレヴィ=ストロースはもっぱらアメリカの影響にするのは単純すぎると言う…ここでは輸入された慣習は同化というより寧ろ触媒の役割を果たしている…潜んでいた類似の慣習が顕在化したのだと…今日のクリスマスは歴史の中で目まぐるしい変動を繰り返してきた儀礼であって、すでに数々の栄枯盛衰を経てきていた…アメリカ的形態はもっとも現代的なアバターに過ぎない…ではなぜ一部の敵意がサンタクロースに集中するのだろうか…

インディアンが信仰するカチーナとサンタクロース(おそらく”なまはげ”も…)の類似は偶然ではないように思われる…カチーナは死の証しであり死後の世界があることの証しでもあった…神話によると、カチーナは先祖が移住してきた頃に川で溺死した子供の魂だとされる…カチーナはインディアンが定住しだした頃、村にやってきて子供たちを連れ去った…大人たちは仮面とダンスによってカチーナを演じることでカチーナにはあの世に留まってもらう約束を取り付けた…レヴィ=ストロースは子供たちこそカチーナなのだと言う…子供たちは神々や死者のかたわらに位置すると…サンタクロースにまつわる儀礼や信仰は通過儀礼の社会学に属し、子供と大人の対立の背後には死者と生者の深い対立が潜んでいる…

サンタクロースは古代ローマのサトゥルヌス祭の王の役回りを引き継いでいる…聖ニコラウスは直接的具体像としての起源に過ぎない…歓喜の神父が降り立つのは12月25日、聖ニコラウスの日は12月6日…サトゥルヌス祭は12月17日に行われていたが、7日間延長され12月24日まで行われるようになった…そしてその他古代から中世にかけての「12月の祭り」には同一の性格が見て取れる…緑の植物による飾りつけ、贈り物の交換や子供への贈与、乱痴気騒ぎと饗宴、金持ちと貧乏人あるいは主人と従者の親睦…サトゥルヌス祭と同じく中世の降誕祭でも異種混淆による結集と聖餐が繰り広げられた…そしてふたつの相の媒介者を演じたのが若い歓喜の神父だった…歓喜の神父は乱行の指揮を取ると同時に一定の限度内に抑えることもやった…想像上の媒介者はやがて親という現実の媒介者となる…そのとき媒介者の本性が変化するだけではなく、媒介作用も逆向きに変化し始めた…

中世の子供たちは変装して家々を巡り歩いて歌い誓いを立て、引き換えにお菓子や果物を受け取った…子供たちは精霊や幽霊に扮していた…寄進集めは必ず秋が深まる時期であり、死者が生者を攻め立てるように夜が昼を脅かす…クリスマスの寄進集めは降誕祭の3週間前に始まる…聖ニコラウスの寄進集めと降誕祭の寄進集めは一体だということだ…前夜祭としてのハロウィンの衣装を見るとさらに明確になる…意味合いとしては概ね次のようになる…まず死者が帰還し脅かし付き纏う…次に生者による贈与や奉仕が行われ死者との間に「暫定協定」が結ばれる…そして死者は立ち去り生者は次の秋までの平穏を勝ち取る…カトリック諸国では聖ニコラウスだけが重視されたが、アングロサクソン系諸国ではハロウィンとクリスマスという儀礼の二重化が進んだ…

生者からなる世界で死者を演じられるのは誰だろう…それは他者性を帯びた人々でなければならない…外国人や奴隷や子供がその役回りであったことは驚くことではない…死者の祭りは本質的に他者の祭りである…今日私たちは死に対して古い重苦しい態度ではなく、温情主義的な形を取るようになった…おもちゃのような贈り物を捧げるだけで死に対して主導権を握るようになった…やがて死者と生者の関係は影に隠れるようになったが、それを体現する人物が姿を消したわけではなかった…それは死に対するもうひとつの態度が現代人の間に広まっているからだろう…死よりも窮乏や渇き、欠乏への畏れ…大人たちは子供におもちゃを与えるふりをして、密かにあの世に贈り物をしている…クリスマスの贈り物は生きる喜びを享受する犠牲であり続けている…

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死とは生に寄り添っているものだ…
生が終わる時、死も終わる…
そして人は死を畏れる…
理性は死を理解できない…
人は死との間に何らかの折り合いを付けようとする…
バタイユが取り上げる供儀も同じことなのだろう…
供儀は終わっていなかった…
サンタクロースはその媒介者だ…

死とは他者でもあり自然そのものでもある…

現代人は理性や科学に傾いている…
自然への畏敬の念は薄れてきた…
厳かだった儀礼はその分軽薄なものになっているのかもしれない…
正月の厳かさも次第に薄れてきている…

サンタクロースが火炙りになった
そこには意図したものとは別の重要なメッセージが潜んでいるように見える…

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