There never was a West: or, democracy emerges from the spaces in between
DAVID GRAEBER
■ 第4章 相互になされる回収
民主主義を敢えて国家の形態(共和国)と考えるにしろ、それはフランス革命やアメリカ独立によって突然(ギリシャやローマとは関係なく)現れたようなものだ…西洋の伝統とは到底言えない…それどころか西洋の伝統が示すものとは民主主義的理想に反するもの(侵略、奴隷制、産業主義…)の列挙というほかない…西洋文明が自由、平等、人権という諸々の理想の担い手であるというハンチントンの主張は空々しく響く…逆にこの理想の中で、西洋列強に対する闘争のさなか、民族解放の諸運動によって掲げられなかったものを見つけることの方が難しい…このような理想(価値)は特定の道徳的、知的、文化的伝統に帰属するものではなく、この種の相互交流の中から生じてくる…
しかしそれらについて本を書こうとすると、それらの擁護を正当化するために国家を相手にすることを強いられ、結局特定の文学的、哲学的伝統の枠組みに収めることを余儀なくされた…ここには一種の併合行為がある…このようにして民主主義が掲げる理想が、あいだの空間ではなくある特定の伝統内部から生じたもののように描かれることになる…歴史家があいだの空間の情報を得るのは極めて困難となり、民主主義の本当の起源は復元されることなく迷宮入りする…そして制度の歴史を書く段になると、彼らはほぼ例外なく古典世界の参照に立ち返る…
合衆国憲法のいくつかの要素はイロコイの六部属同盟から部分的に影響を受けている…この主張はのちに「影響理論」として知られるようになる…アメリカ先住民社会の多くを特徴づける平等主義と個人的自由はイギリス植民地の反逆者たちが平等と自由を掲げる際の大きな発想源になっていた…合衆国憲法の起草者たちは大多数が富裕層であり、対等な立場での議論の経験が十分ではなかった…民主主義的実践が最初に形を為すのは、このような人々の視界の外だ…イロコイ同盟以外にも例えば海賊船の典型的な組織は際立って民主主義的だったようだ…乗組員の構成は極めて雑多であり、あらゆる国の混交から成っていた…国家が完全に不在であるなか、自己統治のやり方を即興で編み出す必要があった…南北アメリカのフロンティア社会も海賊船に近いものだっただろう…
ヨーロッパ列強は植民地拡大に伴い、民主主義的理想を掲げ、その起源がヨーロッパにあると主張し出した…このような回収のプロセスは植民地世界でも叛徒たちによって同様に行われた…例えばインドの伝統は内在的に民主主義的だったと主張することが可能だ…こうした回収と再創設のプロセスは惑星規模で起こったプロセスの様々な局面なのだろう…なかでも今日のグローバルジャスティス運動の波を最初に起こしたのは、EZLN、サパティスタ民族解放軍、チアパス州のマヤ語話者からなる叛徒集団だった…1994年の彼らの蜂起は民主主義の名のもとに行われ、そしてさらに練り上げられたシステムを発展させていった…まずコミュニティの集会によってコンセンサスが形成され、女性と若者の会議によって補佐されたのち、解任可能な代議員からなる評議会と共同する…