Βαρουφάκης

Talking to My Daughter About the Economy
Γιάνης Βαρουφάκης

■ 第1章 なぜ、こんなに「格差」があるのか

農耕が余剰を生み出した…
余剰が経済を、格差を作った…

グレーバーによると物々交換の限界からお金が生まれたのではない…バルファキスも農耕による蓄え(余剰)の記録がお金の起源だと言う…物々交換は生活を共にする集団内での助け合いとしてあったのだろう…そういう自給自足的環境からお金は生まれない…お金は他所者とか立場を異にするものとの間に債務の記録として始まった…最初にあったのはキャッシュレス決済とか仮想通貨による決済と同じようなものだ…

バルファキスによると、サピエンスが農耕を始めたのは資源に乏しい地域に住んでいたからだと結論付けている…果たしてそうだろうか…定住への言及はないが、他の文献によると狩猟採集時代から定住する集団もいたようだ…決して食に困っていたわけではなかった…育てなくても食べるものはあった…やがて農耕が始まるが、蓄えに伴い人口も増加した…狩猟や採集での食糧調達には限界があるので、農耕での収穫が命を支えるものになる…ではなぜ農耕を始めたのだろうか…他の文献も参考にしたが有力な情報は得られなかった…バルファキスの”格差は地理に起因する”という話は少々説得力に欠けると言わざるを得ない…ただ、いったん農耕が定着すれば人口と蓄えの増加が始まる…余剰が格差を生むという話はその通りなのだろう…

アニミズム的世界観からの変化は農耕による余剰によって現れる…収穫されたものが供儀によって神(自然)に捧げられた(返還された)…それはアニミズム的なものの名残りだと考えられる…やがて宗教は国家と結びつく…決して宗教は国家運営によって生まれたわけではないと思うが、少なくとも利用され発展したのは確かなのだろう…アニミズム的なものを残すのがアボリジニのような民族であり、レヴィ=ストロースが言う野生的思考を残す民族だ…

なぜアボリジニがイギリスを侵略しなかったのか…著者は経済的な格差を指摘しているが、それは本質とは思えない…侵略という発想があるかないか…レヴィ=ストロースの言う野生的思考と科学的思考の違いがあるのではないか…格差は本質ではなく結果なのだと思う…

アボリジニはヨーロッパの侵略に屈服した…しかしそのアボリジニの先祖はオーストラリアの多くの動物を絶滅に追いやったのではなかったか…最初の侵略者はアボリジニの先祖なのかもしれない…それはインディアンも同じだ…経済が生まれる前から侵略的行為があった…だからこそサピエンスは世界の隅々にたどり着いた…アボリジニやインディアンやその先祖が自然と共生する世界観を得たのはその後のことだ…一部では作物を育てているので、農耕=余剰とは言い切れないようだ…

余剰とは、そもそもヒトの病?に起因しているものではないだろうか…それは自己を持ったこと、或いは道具を作り始めたこと…経済が生まれる前に余剰は始まっていた…バタイユが言う供儀によって”きまぐれ”の世界に返そうとしていたもの…

余剰とは恩恵であり相応の犠牲とセットだ…
土地、時間、人、様々なものが犠牲になっている…

「自分たちの豊かさが、彼らから何かを奪った結果かもしれないとは思わない。」(p43)

この社会は強者、勝者、富者の論理で動いている…
そうでない社会は衰退する…
構成員は中心に正解を見るようになる…