शून्य

The Other Shore
Thich Nhat Hanh

◆ 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙

対象を追いかけている限り、実践には妨げるものがある…それは自分の中から生じる…妨げるものには2種類ある…知識による「所知障」と苦悩による「煩悩障」…知識は多くの概念を抱え込んでしまい、手放すことが難しくなる…縁起やインタービーイングという概念でさえ最後は手放さなくてはならない…真理は知識や概念の蓄積の中にあるのではなく、ただ生きることの中にのみ存在しうる…混乱、憎悪、不安、渇望、復讐心などを総じて煩悩障という…ありのままを観ることを困難にしてしまう…

縛っている結び目を解くと、涅槃という自由が得られる…
手放すことによってのみ自由は得られる…

◆ 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

意識は何かを掴もうとする…その意識が現実を作る…それらはすべて誤った認知…誤った認知は苦しみと不安の原因になる…仏教では四つの誤った認知を説いている…

変わりゆくものを、変わらないと妄想すること…
苦しみをもたらすものを、幸せをもたらすものと誤解すること…
自由を奪っているものを、自由を与えてくれるものと誤解すること…
不純なものを、純粋なものと思い違いすること…

ニルヴァーナ(涅槃)とは消滅するという意味…
辿り着く場所のことではない…
涅槃とは今ここにある現実の本当の姿…

◆ 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提

目覚めが完全にあらわれるためには、正しい諸条件が整えばいいだけ…誰もがいつでもどこでも好きなだけブッダになれる…生きていること自体がすでに奇跡であり、美しい地球の上を歩くことが驚異である…他に欲しいものはなく、息を吸い、一歩を歩む…それは悟りである…

チャンナは問う…実体が無いのなら、いったい何が悟りを開いているのか…苦しみは生じて滅するがそこに実体があるわけではない…学び、修行し、悟りを得るのに独立した実体は要らない…すべては永遠ではなく、実体もなく、涅槃が安らぎである…多くの条件と原因が寄せ集まってできたもの…目覚めた心こそが大事…

有という考えに囚われるのも誤った見方だが、無という考えに囚われるのも誤った見方…

◆ 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪
是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚
故説般若波羅蜜多呪 即説呪日
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経

般若心経はその時期によって、精神的な側面から理解されることもあれば、信仰上のものであったり、より呪術的だったりした…しかし呪文とは心と体と息がひとつになって深く集中したときに唱えるもの…心と体をマインドフルネスで繋ぎ、すべての集中を持って唱える…それは信心を超える、真の精神的な実践…般若心経とは、機械的に唱えるものではなく、信仰の対象として祀るものでもない…解放(解脱)を助ける道具として与えられたもの…

◆ 結論 みかんのパーティー

まずあなた自身から平和活動を始めないで、どこから始めるつもりですか?

般若波羅蜜は自分自身と和解するための確かな基盤を与えてくれます…空に照らして観るならば、すべてのものは、それ以外のものから成り立っている…私たちはお互いに関わり合い共存している…瞑想しわずか一瞬でも清らかさと幸せを確立できるなら、それは世界に対してゆるぎない平和の基盤を提供していることになる…自身に平和をもたらすことができないなら、どうやってそれを分かち合うことができるだろうか…

瞑想するときはただ坐るためだけに坐る…歩く瞑想をするときはただ歩くためだけに歩く…どこかに辿り着くためではない…その時間は喜びと命がもたらされるはず…一息の呼吸が、一歩の歩みが…ひとつの微笑みが、平和に対する前向きな貢献であり、世界が平和に向かうための必要なステップになる…

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チャンナは同じ疑問を持っていたようだ…悟りを開いたらしい…

まだぼんやりしてる…
「私」とはいったい何者なのか…
同じ所をぐるぐる回っている