Wool

ウールにしろ、牛乳にしろ、鶏卵にしろ…
仮に虐待とは縁のない環境で生産されていたとしても…
生が尽きる最期まで面倒をみる業者はまずいないだろう…
価値のない家畜にエサを与えるような効率の悪いことはしない…
投資に見合わない家畜は食肉加工業者に売られる…
いずれにしろ最後は殺されて食べられる…
絞り取るだけ絞り取って…

消費される動物たち…
盗まれた生…

肉を食べないと生きていけないのだろうか…
革製品がないと生きていけないのだろうか…
動物の犠牲は必要悪だろうか…
仕方ないのだろうか…

厳しい環境下で私たちは動物を犠牲にすることで生き延びた…
肉で栄養を採り、毛皮で寒さを凌いだ…
その必要性は一部でまだ残っているのだろう…
しかし今日の多くの人にとっては過去のものだ…
無益な殺生にどんな意味があるのか…

肉食論者は、肉が人体に必要だと言う…
生きるためと言わなくとも、健康を維持するために必要だと…
果たしてそうだろうか…

多くのアスリートたち…
ジョコビッチ、ルイス・ハミルトン、スコット・ジュレク…
彼らはヴィーガンだ…
菜食の方がパフォーマンスが上がると言う…
それが意味することとは何か…

肉食論者も菜食論者も体への影響を主張し合う…
しかしそれは食を決定的に左右するものにはなり得ない…
大切なのは何を犠牲にしているのかを問うことだ…

環境問題に繋がるほどの巨大な食肉産業は誰も弁護できないだろう…
かつてあったであろう動物への感謝の気持ちは微塵も感じられない…
現存する狩猟民のうちにまだ生きているもの…

人は人を食べない…
個を感じるからだ…
個が明確であればあるほど、その消失は死として認識される…
死とは辛く厳かなものだ…
多くの動物にも同じものを感じる…

不必要に関わらなくてもいいのではないか…
だから動物愛護と言わなくてもいい…
それぞれの生き方が尊重されればいい…

世の中は動物の犠牲で回っている…
特に食肉産業は欠かせない…
生活を支えるものになっている…
それらを今すべて否定するわけにはいかない…
ただ時間をかけて変えていくことは可能ではないか…
ヴィジョンが欲しい…

衣類の分野は先にアニマルフリーに動いているのかもしれない…
しかし未だに競うように「メリノウール」が売られている…
「メリノウール」と特記されている…
何を宣言したいのか

こういう話はどうしてもモラルとして機能してしまう…
嫌な追い詰めかたをしてしまう…