子供は寛容だ…
まだ架空の出来事なのかもしれない…
大人にもそういう部分はある…
鈍感であることは、日々を過ごすテクニックだ…
死は理性にとって不可能なものであるはず…
生物の個体の消失のことではない…
「私」を持つ個体が消えること…
残りのことを考えている…
とりあえず書き始めた…
ここはSNSではない…
誰かと交流するつもりは全くない…
むしろ孤独でいたい…
他者に理解してもらいたい…
そういう部分は確かにある…
ただそれは無理な話だ…
誰も興味を示さないということではない…
不可能ということ…
仮に共感とかそういうものがあるにしろ…
それは限りなく邪魔だ…
触れないでほしい…乱暴な言い方だが…
国境を維持するようなもの…
なぜ書くのか…
何かを遺したい…
記念写真を撮るように…
ここはひとつの遺品置き場だ…
それが世の中の作品というものの在り方じゃないだろうか…
これもひとつの交信の仕方…
生きた世界への遺言…
ラスコーの壁画と同じ…
生きた痕跡…
ひとつの大きな絵画…
常に書き足し、手直しを繰り返している…
他者の痕跡にも触れながら…
人はこの世に生まれたとき、死と隣り合わせになる…
この世からいなくなるとき、死も離れていく…
言わば大文字の生から分離し…
しばらく小文字の生を過ごし…
また大文字の生に還っていく…
昔の人はそういう理解をしていたんじゃないだろうか…
子供も近い感覚を持っているかのようだ…