Democracy

There never was a West: or, democracy emerges from the spaces in between
DAVID GRAEBER

■ 第2章 民主主義はアテネで発明されたのではない

民主主義とコンセンサスの意味をより明確にして考えてみよう…民主主義とは多数意見を採用して進めること…コンセンサスは構成員全員の合意によって進めること…

民主主義がギリシャ由来だという説はよく聞く話ではある…しかし物事を進める上では誰もが気づきそうなアイデアに思えるのも事実…人類史をよく観察するならその文明初期において、民主主義はごく稀なケースであり、コンセンサスが多く採用されていたらしい…なぜだろうか…なぜ満場一致という、より困難な方法を選んだのか…グレーバーは次のように推測する…

構成員の大部分が望んでいるのは何かを突き止めることの方が、それを望まない少数者の心を変えるにはどうしたらいいのかを考えることよりもずっと簡単なのだ。コンセンサスによる意思決定が典型的に見られる社会とは、少数派に対して、多数派の決定への同意を強制する手段が見出せないような社会である。」(p45)

平等志向の社会では、強制を課すのはよくないこととされていた…採決とは公の場でなされる勝負であって屈辱や憎しみを生むこともありえる…そこに強制する手段がないのなら、採決という方法ではなく、妥協と総合のプロセス(コンセンサス)が選ばれるのではないか…グレーバーは多数派民主主義が生まれるための条件を2つあげている…

1)平等な発言権を持つべきという感覚

2)強制力を持った装置の存在

強制する手段とは、国家=法かもしれないし、武力を備えた民衆あるいは軍隊かもしれない…強制力を備えた王族が存在するだけなら、通常は民衆の意志を実現するという発想すらなかったことだろう…王政であったアテナイにおいて民主主義が生まれた要因のひとつは、格下であるはずの民衆が武装していたこと…北朝鮮が核によって交渉カードを持つようなものだ…もちろんギリシアにおいて武装した民衆が底辺のはずはない…その下に政治参加できない多勢の女性や奴隷がいた…限られた民衆による直接民主制…

採決とは征服を意味していた…民主主義という言葉を考案したエリート主義者たちは、その言葉に民衆の暴力という意味を含ませていた…採決とはいえ、そこには暴力(武力)が潜在的に潜んでいたものと考えられる…アテナイにおいてアゴラとして現れたものは、ローマではサーカスとして現れる(娯楽であり一種のガス抜き…スポーツとはそういうものなのかもしれない…)…

民主主義とは不安定で騒動に満ちた政府形態だったと言えるその言葉が完全な変化を遂げ代表の原理を取り入れることで、名誉あるものとして今日の意味を担うようになるそのプロセスとはどういうものであったのか