अहिंसा

倫理/数珠の網、細胞の織物(「惑星の未来を想像する者たちへ」所収 )
著 ゲーリー・スナイダー
訳 山里勝巳・田中泰賢・赤嶺玲子

スナイダーはアヒンサー(अहिंसा)を仏教の「第一の戒め」として引用している…
「無益な殺生をしてはならない」という意味だ…

アヒンサーとは不殺生、非暴力を意味する言葉だ…
ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教で重要な教義とされている…
食に関することだけではなく戦争なども含めた概念だろう…
さらには人や動植物だけではなく地球規模或いは宇宙規模で考えるべき概念かもしれない…

無益な殺生とは何だろうか…
必ずしも必要ではないとか…過剰に奪っているとか…そういう意味だろう…
スナイダーの言う「経済的」な意味合いを持った言葉だ…

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「菜食主義者と非菜食主義者という区別そのものが単純すぎる…もし穀物や野菜だけを食べて適度な栄養が得られるなら、それは素晴らしいことだろう。しかし高緯度の土地や草原、砂漠、山地に住む人々は、植物以外の多くの食べ物に頼ってきた。…先進国の牛肉経済は無駄の多いぜいたくであることは明らかだが、第三世界の人々が牛、鶏、豚、羊、海の生物などの食肉なしで容易に生き延びることができるとは思われない。…ほとんどの北アメリカの仏教徒には肉を食べる実際的な必要性はない。だから選択はすべて彼らにゆだねられている。」(P91-92)

「「第一の戒め(アヒンサー)」は、有機的生命に限定された関心を超えるものだ。しかし食事に対する私たちの態度は、私たちの日常の経済的、エコロジー的立場の表明なのである。食物とは、私たちが日常的に世界を「殺傷」する意味を探求する領域なのである。」(p94)

「逆説的ではあるが、今までのところ、地球とその生物たちへの感謝をもっとも美しく表現した文化は、原始的自給自足文化、特に狩猟採集に関わった人々の文化であった。」(p94)

「高度に組織化された社会や、世界の企業経済の中で、アヒンサーの戒めが圧倒的多数の人間に無視されているため、この惑星全体がうめき声をあげている。」(p98)

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食べてはいけないとか食べるべきではないとか…
道徳的な要請を含んでいる…
だからと言って仏教の言葉を文字通り受け入れるのはナンセンスだろう…
仏教の言葉遣いとはそういうものだ…

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「単に私が純然たる菜食主義で、他の僧がそうしないからといって、私が彼らより優れているというわけではない。それが私にとっての修行の方法であり、他の人々には別の方法がある。ひとりひとりが第一の戒めを深遠な課題としてとらえなければならないし、それとともに生きる独自の方法を見つけなければならない。」(p93)

「もし私たちが厳しい状況下で、誰かを(例えば)自己防衛のために殺傷して、その戒めを破ったことに気づいたとしても、それを正当化しようとしてはならない。私たちにできることは、それが自分の決断であり、それが起こったことを残念に思って、その結果として生起することは、なんでも受け入れようということだけである。」(p95)

「死に際し、私の死と苦悩は私自身のものであり、私の苦しみを私を倒した虎(または癌、あるいは何であれ)のせいにすることを望まない。虎に対してはただ「私の肉体を無駄にしないでください」と頼みたい。」(p97)

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肉を食べるのは最後の手段だと思っている…
他に食べるものがあって、十分健康に生きていけるのであれば肉は要らない…
もしできないことがあったとしても、それがすべてを否定するわけではない…
そもそも肉を食べてはいけないのか?
内側の声を聞きたい