■ 世界史の針が巻き戻るとき「新しい実在論」は世界をどう見ているのか(2020)
著 マルクス・ガブリエル
訳 大野和基
■ 欲望の時代の哲学2020 NY思索ドキュメント(1)「欲望の奴隷からの脱出」(2020)
出演 マルクス・ガブリエル
自然主義という言葉がある…一般的には科学至上主義という意味らしい…しかし「自然」とは全く逆の意味合いを持つものではないだろうか…それは「きまぐれ」の世界であり、美と不気味さを併せ持つ世界だ…理性は法則を導き出すかもしれないが、それは自然そのものではない…理性の産物は本質的にいい流れを作れるわけではない…
同じ自然主義という言葉を使うにしろ、理性の産物を信奉しているわけではない…かといって原始時代に帰ろうとかそういうことでもない…ただ、油断するとまとわりついてくる足かせ(道徳も含めて)を振り解きたい…流れを作りたい…呼吸を楽にしたい…
世界があるとか無いとかの議論にあまり興味はないのだけど…世界とは虚構であり”まやかし”に思える…それらは普通「無い」ものかもしれないが、虚構が或いは”まやかし”が「ある」ということになる…それはそれで何かを動かすものだし、実際、人を動かしている…完全な相対主義(構築主義?)とは思っていない…ある意味バーチャル的なものが「ある」…所謂「現実」と呼ばれているもののこと…虚構とか”まやかし”は「現実」…「現実」とは人が生み出す世界のことだ…それは貧困、暴力、ゴミ、病気に繋がるもの…自然にはないもの…人はそういう流れの中でしか生きれないんじゃないか…
ガブリエルは理性を信じている…リアルを信じている…死んだあとも世界は残ると言っている…それはそれとして、リアルとフェイクを分ける基準がよく分からない…ピンカーの言うこともまたリアルだと思うのだけど…何らかのリアルがカモフラージュ=擬態にもなるということではないのだろうか…リアルはフェイクでもあり、フェイクはリアルでもある…見えにくい方(裏側にあるもの)がリアルということではないと思う…WARHOL や BOWIE もそう言うんじゃないかな…
道徳も”まやかし”に思えてならない…拠り所にできるのは理性ではなく感性的なものだ…性善説を信じているのでもない…性善説という言葉自体が道徳に依拠してしまっている…人の中に絶対的なものがあるとしたら、そのひとつは相互扶助的なもので…生物が生得的に持っているものだろう…ガブリエルは生物学的な基盤と道徳を結び付けているが、道徳とは社会の中で育つものではないだろうか…生物学的なものと無関係ではないにしても、すでに無償ではなくなったもの…道徳は社会を維持するための発明であると同時に社会を壊す動力にもなる…破壊も道徳の仕業なのだと思う…ガブリエルは”正しい倫理観”を掲げ絶対視している…そこに危うさはないと言えるだろうか…
”非人間化”という言葉が出てくる…屠殺も同じ理屈で説明できる…そしてモラルは犠牲に目を瞑るための装置にもなる…ずっとそういうテクニックを使ってきた…戦争も環境破壊も食肉産業も原発も全部同じシナリオでできている…ガブリエルが言うように、インターネットはその流れに拍車をかけているのかもしれない…