Bataille

 軍事秩序

資源に見合い均衡が保たれていた蕩尽は、やがて人身供儀に至り、それは富の超過を示すと同時に供儀そのものを非難し始める…軍事秩序はその不満に終止符を打ち、諸力の合理的利用と権力の絶えない増大を計る…軍事秩序は内部の暴力性を外部に向け服従させる…軍事秩序は派手な戦闘とは正反対のものであり、力が濫費されるとしても、より大きな力を獲得する目的に限られた…掠奪した奴隷は祭礼で虐殺するのではなく、労働へと編成された…

帝国とは理性による管理体制であり、他の帝国を同等と認めない…帝国が周囲と結ぶ関係はすべて征服という企図の中で秩序ずけられる…帝国の本質は暴力を外部に向けることであり、その度合いに応じて法を発展させる…法は事物たちの秩序の安定を保証し、侵害に対しては暴力による処罰を課す…同様にモラルも秩序の安定を保証する…モラルは法とは違い、内的な暴力性によって諸関係を保証する…

 二元論とモラル

原初的には、神的な世界は吉で清浄な要素と不吉で穢れた要素に分けられ、それらは等しく俗なる世界から隔てられていた…しかし反省による思考は、神的なものと清浄さ、俗なるものと穢れを結びつけるようになる…このような横滑りは普遍的な義務の関係(モラル)を言表する…義務関係とは事物たちの秩序が安定するように保証しようとする関係である…モラルとは内奥次元の価値尺度とは正反対であり、理性において基礎づけられ持続を保証する…本来、聖なるものは理性的でもなければモラルに関わる者でもない…しかし二元論が進展していくと、神的なものは理性的でモラルに関わるものとなり、不吉な聖性を俗なるものへと投げ捨てる…モラルと理性は神の機能と一致するようになる…

二元論が深化していくうちに到達する超越性とは世界の外に出ることである…可感的世界と対比される可知的世界とは、別の世界ではなく、世界の外にある…原初の人間はその内奥の暴力性へと連れ戻す力を保っていたが、二元論的世界観を抱く人間は内奥性を喪失した事物の人間となる…そういう人間にも内奥性に対する無意識的記憶が残されている…まさしく「既視」のように流れ去るものを垣間見る…

供儀が深く肯定したこと、すなわち激烈な暴力性こそが危険な至高性を持っているというこは、内奥性へのノスタルジアを目覚めた状態に保つ不安を維持することにつながっていたところが超越性においては、暴力性が解放されるとしても、長いあいだそのままに維持されることはないそれはやがてくる睡眠状態の序曲を意味している超越性を伴う二元論に続いて定置されるのは世界をふたつの原則に分割する眠りとも言える態勢である「善と精神」「悪と物質」というふたつの原則そこでは隷従こそが至高なものとして君臨する