THE LIVES OF ANIMALS
J. M. Coetzee
The Poets and the Animals
リルケは彪を描写することで、そこに自分の姿を見ている…コステロが対置させるテッド・ヒューズの詩は残念ながら参照できていないが、コステロによるとヒューズは旧石器時代の猟師が見ていた目で動物(ここではジャガー)を見ているらしい…ラスコーの壁画を描いた彼らの眼のことだろう…ヒューズの詩はバタイユの言う「供儀」に近いものなのかもしれない…ヒューズは現代において失われたその原始性を賛美し、抽象的(西洋的)思考を否定する…
►連続性とは動物にとっては他のなにものとも区別されないものであって、動物においては即自的にも対自的にも唯一可能な存在の容態なのであるが、人間においてはその連続性は、俗なる道具の貧困さに対し、聖なる世界のあらゆる魅惑を対比させたのである。(バタイユ:宗教の理論 P45)
すべての生き物はそれ自身の個々の一生のために闘っている…しかしコステロの言う生態環境の管理者にとって、個々は役割を演じる生き物に過ぎない…全体に影響のない個の犠牲は軽視される…ただし人間という知的生き物にだけは生と死の権力を適用しようとしない(政治の世界では生政治として常態化しているのかもしれないが…)…
スウィフトが旅行記4章で示したのは、人間の行いが見方を変えればヤフーのような蛮行なのであり、逆に理性を追求するならフウイヌムのような全体主義への危険性を孕むということなのだと思う…ヤフーもフウイヌムも人間に備わる両極端な姿だといえる…質問者エレイン・マルクスはコステロが理性を批判しながら理性に信頼を寄せていると言う…フウイヌムを批判しながらフウイヌムの立場に近づいていると…まるで菜食が全体主義への危うさを秘めているかのように…コステロは答える…►「…そして歴史的には、人間の立場を甘受したために、神聖なる種を虐殺し奴隷化してきたか、あるいは神のごとく生き物を創造し、それによって呪いを招いたことに気づこうではありませんか。(p97-98)
息子のジョンは、人間は肉を食べるのが好きだと言う…先祖帰りをしたかのような満足感があると…しかし動物たちは生きるために食べている…新しい味を覚えて求めることもあるが必要なものを必要なだけ摂るのが基本だ…肉には酒やタバコに似た刺激や快楽の要素がある…それを生得的満足感だと勘違いしていてもおかしくない…
コステロは動物園の動物は捕虜と同じだと言う…そして何百万年も続いた狩猟と戦争も同じことなのだと…捕虜となった動物は奴隷となり、もはや憎むに足りない存在となる…バタイユに言わせれば事物化したということだろう…
オハーンの三つの質問に対する回答
1)西欧の規範を他の規範まで広げる危険性について…
►コステロ「動物のいのちを産業化し動物の肉を商品化する先駆けを務めたものが、その償いをしようとする際の最前線にたつべき…(p104)
►コステロ「人間と動物を区別するということは、まさに動物を食べてもいいのだということと同じように、教わらなければ身につかないことなのです。(p103-104)
男尊女卑も奴隷制も肉食も、辿るべき道であり知恵だったのだと思う…時代の流れの中で次第にそれにすがる理由が揺らいできたのだと…特に先進国ではそれが顕著だというだけであり、例えば狩猟がいまだ有効な民族に対して外から価値観を押し付ける必要はない…
2)動物の能力に見合った扱い方でいいのではないか…
以下のオハーンの言葉に対しては自分(コステロ化する自分…やばい)で答えたい…
►オハーン「動物にとって死は生と連続しています。非常に強い死の恐怖を感じるために、それを動物を含めた他の生き物にまで投影するのは、ある特定の、極めて想像力豊かな人間だけです。…それは比べられるものではないのです。(p108)
►オハーン「…動物を殺すことは正当なことだ…一方で私はいわれのない残酷さは不当なものとみなします…動物を人道的に扱うようにと運動することは、実に理にかなったことです。(p109)
動物の世界では確かに死は悲しむことではない…しかし人間による動物の虐待や殺害は「動物性」の外からの介入なのだと思う…こちら側の関わり方が問われて然るべきではないだろうか…そして人道的で残酷でなければいいというのなら、殺すことは残酷ではないというのだろうか…人道的な殺害があると言うのだろうか…
3)動物の権利擁護運動は動物との共同社会をどう実現しようというのか…
ここもコステロを差し置いて自分の意見を…
共同社会ではなく、共生できる環境を意識しなくてはならないと思う…動物愛護のように深く関わることではなく、基本的には逆に関わらないこと…動物には動物の世界があるのであって、その世界を尊重するということ…もちろん関わりを一切なくすということではない…もし襲われそうになったら抵抗するし、場合によっては逆に家族として迎えることもある…
コステロは不器用なのだろうか…
ある意味そうだけど、自分にはすべて納得できる…
ヨーロフスキーは弁が立つ…
少なくともコステロより役者だ…
(コステロは役者どころか役なのだが…)