走ることについて僕が語ること…
健康なジョギングではなくギリギリの走り…
適度ではなく限界の…
安全ではなく怪我と隣り合わせの…
わざわざ苦しんで達成を楽しむ馬鹿馬鹿しさ…
動力はもっと深い部分にあるんじゃないか…
健康のため…体力を維持するため…達成感を得るため…
いずれにしろそれらは後付けに過ぎない…
思考はそこに落ち着こうとするのだけど…
有用性の世界とはそういうもの…
おそらく逃げることのできない事物化、分節化という世界からの擬似的逃避…
クリアな自然な状態の希求…解放…リセット…
有用性の放棄であり「何のために…」の放棄…
現代的蕩尽と言うべきか…
いずれにしろ産業化すれば、ブランドなどで彩られ、結局は有用性に取り込まれる…
それでもランニングにはまだ聖域が残されている気がする…
バタイユ風に言えば至高性…
[…] https://hitkeas.com/2019/06/18/running/ […]
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