✢ 人間性と俗なる世界の形成
道具は水が水の中にある世界のうちに外部性を導き入れる…それは連続性における中断であり、<物=客体>をそれとして位置付ける…道具の出現によって、その目的は有用性の面の上に与えられ、それはもはや<真の目的=究極>ではない…
人間は<物=客体>を定置することによって現れた面の上に、本来認識しえない連続性の中の諸要素を少なくとも外見上は明晰に位置付けることが可能になる…それは自分自身を外から一個の他者として統覚することをも意味する…
さらに人間は個別性と神的な性格を併せ持つ<最高存在>を想定する…<最高存在>は事物が持つ諸能力を貸し与える存在であると同時に<個別性=人称性>を持つことにより事物と同じ面に属することになる…そこに生まれつつある意識は決して開花ではなく減退あるいは衰弱を意味している…
原始人は動物におけるその連続性を、俗なる道具の貧困さに対して、聖なる世界のあらゆる魅惑として位置付けた…人間は聖なるものの中に、ある種の無力な恐れを抱くようになる…あらゆる民族が<最高存在>を意識したが、今日のような<神>へ至るその確立は挫折を繰り返したと思われる…
事物に対立する諸々の存在は精霊として位置づけられる…人間の<霊=精神>は<肉=身体>に依存する精霊であり、他方<最高存在>や死者の精霊は独立した純粋な精霊である…死を免れない身体を持つ人間は<霊=精神>であるほどに神聖だが、同時に事物的であるほどに俗なるものとなる…
人間は何ものであれそれを一個の物に変えてからでないと何も食べない…動物を食べるとき、殺すことそして加工するということは、それが事物であることを暗々裏に定義/断言することである…屍体とは生きている動物が事物の状態まで完全に還元され尽くしたことを啓示している…
道具はそれを創り出し使用する者自身も変えてしまう…道具によって自然はある意味人間の所有物になるが、それによって自然は人間にとって内在的であることを止める…それは人間の疎外であり、ある失墜状態と感じられる…
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人間を特徴付ける明確な自己意識…
その形成は死への抵抗、道具の作成を契機としている…
自然とは水の中に水がある状態…
それは<究極の目的>でもある…
そこに有用性はない…ほかの何かのために価値を持つものはない…
人はそこに意味を見る…
しかし連続した世界にはどんな区切りもない…
バタイユは有用性を異質なものとして描いている…
外部性…イレギュラー…
ただし自然から逃れているわけではない…
錆びつき劣化する…或いは別物に変化していく…
道具はそれまでにない独立した必要性として出現する…
手段の発明であり、目的の発見…
動物の場合、その巣作りなどは瞬時にやり始めたわけではない…
それらすべては進化という途方もない時間の所業であり、生存の根拠でもある…
人間の高度な建物とは違う…
プラスティックは馴染まない…やがて分解されるとしても…
急激なスピードの変化…飛躍を感じさせる…それは周囲に馴染まない…
バタイユは新たな目的が連鎖する様を描いているが、どちらかというと新たな「便利」が連鎖する様を連想する…例えば斧らしきものが発明されたとするなら、さらに切れるものを、さらに軽いものを…という具合に…
便利である道具は欠陥を宿命として持っている…
水の中の水でないということはそういうことだ…
便利は自然を否定する…
それは自己の形成を契機とし、飛躍の連鎖、増殖を招く…
まるでがん細胞のように…
[…] 意味のある死… ここでは生が何かに或いは誰かに捧げられるということだろう… 確かに自然界ではそうやってすべてが巡っているように見える… 自然界は死で繋がっている… しかし屠殺は断ち切っている… 道具や建物や道路を作るにしろ… 作物を育てるにしろ… 遺伝子を組み換えるにしろ… 意味や理由を作るにしろ… それらは断ち切ることだ… 自然界は水の中の水でしかない… https://hitkeas.com/2019/05/26/bataille-2/ […]