À propos de récits d’habitants d’Hiroshima

ヒロシマの人々の物語
著 ジョルジュ・バタイユ
訳 酒井 健

政治家や軍隊や法に携わる人たちはある意味国家に隷従している
国民全体が国家の奴隷になることもある
その国家とはもともと存在しない
ハラリの言う虚構…

国家は善悪よりも損得を優先する
福祉もその例外ではない

国家間は強者の価値観と論理が支配する
戦勝国の戦犯は問われない
戦争は原爆のおかげで終わったことになっている
戦勝国はモラルで守られて、敗戦国はモラルで裁かれる

そして人々は悲惨な惨劇に対して鈍感だ
このブログでは戦争だけじゃなく畜産も加えたいが

この論文はジョン・ハーシーの『ヒロシマ』をもとにして書かれている

バタイユはハーシーの「動物的」記録法を評価している
「動物的」とは「瞬間的なありのままの」という意味に受け取れる
未来への展望を奪われた視座

感傷に浸り盲目的に同情したり、誇大な解釈で遠ざけたり
それではまた同じことが繰り返されるだけじゃないのか
バタイユはまず直視することから始めないといけないと言う

正直その惨劇は見るに絶えないし見る気はない…
問題は見せかけになってしまうトリックにある…

目を開けて見ること…目を閉じて想像すること…

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