◼️Q4 – お乳や卵はいいんじゃない?
卵や乳は生殖分泌物であり、雌だけがこれを生成する…ほぼ同数産まれてくる雄は繁殖に必要な少数以外は業者にとって不要であり最終的には殺処分される…卵用鶏の雄は雌雄鑑別士によって産まれてすぐに選別され、生きて意識があるまま肉挽き機やゴミ袋、あるいはガス室に放り込まれる…卵用種の雄ひよこ、乳用種の雄子牛は、卵消費や乳消費の避けられない犠牲者である…残った雌もその能力の限りを搾り取られたのちに屠殺または廃棄される…
卵や乳の生産は殺害と無縁ではない…
牛は生まれつき乳が出るのではない…人間の女性と同じで妊娠/出産を伴う複雑なホルモン反応によって乳を出す(母の乳には自分と同種の新生児に適する、完全にバランスの整った栄養と、子がさらされる病原体に対する特別な免疫まで含まれている)…乳牛は「強姦枠」と呼ばれる固定具に押し込まれ、動きを封じられているあいだに受精させられる…本来なら一年近く乳を与えるが、出産後間も無く母牛は子牛から引き離される…母牛の嘆き苦しむ鳴き声は何日も絶えず、子牛を最後に見た場所を何度も周回する…そして度重なる妊娠と絶え間ない強制搾乳によってついには消費者の需要を満たすだけの乳が出なくなり4歳~7歳(牛の寿命は20年~25年)で殺処分される…
鶏の祖先にあたる野生種は年間20個の卵も産まない…対して今日の卵用鶏は年間300個近くの卵を産む…毎日のように子宮収縮を繰り替えすため子宮脱の苦しみを味わう…卵の殻はカルシウムで作られるため、卵用鶏は骨粗鬆症を患う…卵用鶏は2歳を迎えるころには体がボロボロになり「廃鶏」となり屠殺場送りになるかゴミ袋の中で窒息死させられる…
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畜産が本質的に悪だとは思わない…流通が整備されていなかったり、十分な農作物が育たなかったり、少数部族による狩猟生活であったり、そういう環境における畜産や狩猟の可否を問うことはできない…私たちホモ・サピエンスは毛皮を纏うことによってアラスカを横断し北米に辿り着くこともできた…しかし先進国に住む私たちにとって畜産業は命をつなぐものではなくなっている…その意味合いはすでに違うものになっている…
もし牛や鶏を家族として受け入れ、僅かばかりの牛乳や卵をいただくというのなら、そこに効率化の要求はなく、暴力といえるような行為は生まれない…しかし稼ぐための手段であるのなら、効率化と虐待は避けられないのではないだろうか…さらに欲望資本主義と結びついた食肉産業は、味を追求し、余ったものを大量破棄し、かつてありがたく頂いていた精神さえ葬ろうとしている…その現象は地球規模であり、信じがたい数の悲劇が日々繰り返されている…
動物のものを奪うことは少なからず暴力を伴う…その暴力は可能な限り最小限におさえたい…そもそも奪ったものは人間に適しているのだろうか…例えば牛乳は子牛のものであり、子牛ですら離乳期を過ぎると受け付けなくなる(同時に母牛からも乳は出なくなる)…それを人間が、しかも大人までが口にする…暴力とミスマッチ…
蜂蜜やシルクはどうだろう…これは正直グレイで…できれば避けたいという程度…動物と植物の明確な線引きがここでも意味のある区分だろうか…まずは身近に感じる動物たちのことを考えたい…