IMFによる途上国に対する融資は、その殆どが選挙で選ばれたわけでもない独裁者の手に渡り、飢えた子供達の口から食べ物を剥奪することで返済が行われている…すでに借用分の3倍から4倍の金額を返済していながら、元金さえ減っていない…さらに再融資と引き換えにIMFが押し付ける経済政策はうまくいった試しがない…
「でも借りたお金は返さないと…」
この言葉が強力で厄介なのは、それが経済的な言明ではなくモラルの言明だからだ…醜悪なことを穏やかで平凡に見せかける文句…私たちは負債とは何かを理解していない…まさにそのことが負債の力の基盤になっている…
暴力に基盤をおく諸関係を正当化しそれらをモラルで粉飾するためには、負債の言語によってそれらを再構成する以上に有効な方法はない…被害者を悪者にすることができる…マフィアや侵略軍司令官はそのことをよく知っている…
「殺されずに生きているのは俺たちのおかげ…」
マダガスカルを侵略したフランスは、侵略による損失の穴埋めとマダガスカル人が望んでもいないインフラ整備のために重税を課した…反対した10万人ものマダガスカル人がフランス軍とフランス警察によって虐殺された…それにも関わらず、マダガスカル人はフランスに債務があると言い聞かされ、国際社会もその妥当性を認めている…
対してアメリカ合衆国は第3世界の債務総額を優に上回る債務大国になっている…合衆国の対外債務は、米軍基地によって保護されている諸外国(日本、韓国、台湾、湾岸諸国…)の投資家によるTボンドの形態をとっている…銃をちらつかせて1000ドルの「みかじめ料」を要求することと「借金」を要求することにどんな違いがあるのか…もし何らかの勢力均衡が反転しアメリカが軍事的派遣を失うなら、債務の意味は一変することになるだろう…
富者と貧者の闘争は何千年にも渡り、債権者と債務者の間の紛争だった…民衆は債務記録の帳消しと土地の再分配のために闘った…そして現代のモラルや宗教の言語はこのような紛争(負債)から発生している…「報い/勘定/決済(recooning)」や「贖罪/買戻し/弁済/質受(redemption)」など…
負債の歴史を眺めてみると金貸し業には一貫して悪のイメージがこびりついている…高利貸しは「金貸しザメ(loan shark)」「血まみれの金(blood money)」「1ポンドの肉(a pound of flesh)」などと称された…それらすべての背後には悪魔が控え、悪魔自身も邪悪な会計士として表象された…
義務と負債の違いは明白…負債は数量化できる…冷酷で非人間的なものと化す余地を与えてしまう…以下で探求される主題は、モラルを非人間的な算術に変換し、非道な物事であれ正当化する貨幣の権能である…そして暴力が人間関係をどのように数字に変えてしまうのか、その仕組みにも言及する…
2008年9月、世界経済は停止した…過去10年間に聞かされてきた金融イノベーションは念の入った詐欺以外の何ものでもなかった…負債や金融機関の本質についての真に公共的な対話を始めるチャンスだった…しかし対話はついに起きなかった…そして救済されたのは債務者ではなく銀行の方だった…
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モラルとは常に義務を帯びている…
何らかの負債と考えていい…
よくよく考えると「人間関係=モラル=負債」なのかもしれない…
それが数量化されたとき、貨幣が生まれる…
情のない貨幣がモラルを実装する…
醜悪なことも体裁が整う…
[…] グレーバーが「負債論」の冒頭でマダガスカルを取り上げている… https://hitkeas.com/2019/03/25/debt-2/ […]