Mindfulness

▶︎禅院
禅院は「院長」の指導のもとに置かれる「知事」が運営をまとめ、それぞれの僧は「知日」と呼ばれる役職を務める見習い僧(沙弥)は「侍者」として高位の僧の世話をする僧たちは「報衆鐘」の音で朝四時に起床、座禅を行じ、続けて「勤行」が行われる朝食をとったあと「般若心経」が読誦され、その後それぞれの仕事にとりかかるお昼前の休憩を経て正午に昼食身も心も食事に集中するふたたび作務を勤め、夕方七時には経典読誦、八時に学習と座禅、ぞの後就寝となる

▶︎結成安居
集中的に修行することを「結成安居」という陰暦415日~715日は「結夏」が組まれる僧は禅院を出ず(禁足)座禅修行が行われる「結夏」に参加できない僧は「結冬」に参加する修行者は一定期間「窟」にこもって(入室)修行することもできる「結夏」「結冬」「入室」の期間中は殆どの時間を座禅に費やす蓮華座の姿勢で坐甫の上に座る座禅のあとは「経行」を行う歩いているあいだも瞑想修行は行われる禅の修行者にとっては座禅と経行以外の日常においても禅を生きること、マインドフルネスであることが必須の課題である

▶︎在家修行者
禅は専門僧侶の独占物ではない在家修行者もこれまで多く輩出してきている多くの禅院では在家修行者のために「八関斉戒」を催す期間中、在家修行者は僧侶の指導のもと、禅の修行が行われる禅が一般の社会生活に影響を与えているのは、この在家修行者と僧侶の密接な親交の結果である禅は多くの芸術活動にも影響を与え、茶道や書道などは、禅の宗教性のなかにその源をもつ

▶︎禅と今日の世界
現代人は生産と消費の歯車の中で身動きが取れなくなっている自分自身の主人になれず、占領されることに慣れ、自由になることを空虚に感じ、その空虚から逃げようとする理性にしがみつくことで重要な基盤であるアラヤ識を喪失し人間性は失われ機械のようになっている先進諸国と途上国の間の格差も広がり続けている貧しい国が豊かな国に支払うべき負債は援助として受け取る資金総額を上回り、一方で先進諸国は地球資源の大部分を消費し、その消費によって大地と大気を汚している
悟りを開いた者は運不運や社会の風潮に左右されることなく真実に対するはっきりとした洞察を持っている禅が人類に提供できる貴重な果実とはこの洞察にほかならない私たちが直面している問題とは実はこの目覚めの問題であり、本当に欠けているのは気づきなのであるしかし禅は技術文明の圧力のもとで衰退しつつあるヴェトナムでは政府が独自の仏教教団を作り、自由な実践を求める仏教徒を逮捕している日本では経済発展に伴い宗教的価値が物質至上主義に取って代わられた寺院や禅院も存続のためには社会体制の要請を無視するわけにはいかず、かつてのような役割を果たすことができなくなっている長い禅の伝統を持つ国の人々は物質的に安楽な生活を享受する方向に向かい禅は衰退した一方物質文明と理性主義にうんざりしていた西洋では禅が新鮮で希望を与えるものとして受け入れられた

▶︎新しい文明
人間らしく生きたいという要求は最も根本的な要求のひとつであるしかしその要求は気まぐれで雑多な要求に押しつぶされている新しい文明の最初の段階は人間らしいありかたで生活できる条件を満たしていないといけない目覚めた人々による小規模なコミュニティが形成され、時間と精力は宗教性を豊かにするものに使われるそこにはいかなる教条もなくマインドフルな生活がある時代の疲弊は癒され、偉大な芸術と思想が生み出される宗教は真の人間性に目覚めたいという要求に気づかなくてはならない宗教組織は正気で健全な生活が送れるコミュニティの再建に向けて尽力しなくてはならない

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日本において仏教の衰退は菜食の衰退と同じ道を辿っているように見える逆に欧米では禅への関心の高まりに同調するように菜食文化への理解も深まっているいま日本でマインドフルネスがきているらしい菜食への理解も少しづつ進んでいるのかもしれないしかしそれらは仕事の効率性とか体型とかそういう損得だけで受け入れられている気がしてならないティクナットハンは西洋には西洋の禅を築かないといけないと言う逆輸入においても上辺だけではない新たな独自のものが必要ではないか

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