▶︎東洋の禅/西洋の禅
禅は中国文化の影響を受けた地域で勃興した仏教の一形態である…中国禅という木は、日本、ヴェトナム、朝鮮に移植され、見事に育ち栄えた…一方欧米は、鈴木大拙やエドワードコンゼなどの多大な貢献があり、エーリッヒフロムやユングをはじめとする多くの思想家に影響を与えてきた…しかし禅は模倣ではないのであり、依然として異質なものに止まっている…禅が西洋のものになるためには東洋とは異なる西洋の形態をもたなくてはならない…
▶︎中国禅
中国人は現実的であり、経験を基盤とする仏教は中国の土壌に根付くことができた…逆にインド人は夢想と思弁に向かう傾向があり、それが衰退の原因となってしまった…仏教の中でも禅は経験を重視するものであり、華厳宗、真言宗、天台宗が仏を象徴的な形で表現しているのに対して、禅に於ける仏は生身の人間として描かれている…
▶︎空
あらゆる存在は絶えず変化し、固定的な同一性を持たない…「空」とは「我」という独立自存の実態がないということ…すべての現象が存在するのはそれが「空」であるから…「空」とは存在の肯定である…無情、無我、相互依存的連関性、空とは、知識の対象についてそれを記述することを目的としているのではなく、むしろ知識の誤りを示す手段である…目の前の花は分別されない真実において本当の花である…しかし概念によって創り出されたイメージは想像されたものでしかない…
▶︎解脱の三つの門
・空/ものには永続的な同一性はない…
・無相/ものの非概念的性質…
・無願/いかなるものも追い求めない…その必要がない…
大乗仏教、とりわけ禅に於いては三つの門に対して密接な関係が見出される…それぞれのものに絶対的な同一性がないこと(空)は、非概念的な(無相)知によってあらわにされる…そこに於いては客体を求める主体は存在しない(無願)…
▶︎龍樹の八つの否定
龍樹とその思想を引き継いだ中間派は、概念の不合理性と無効性を明らかにしすべての見解を誤りと見做す…龍樹は次の八つの否定を提案している…
・生じることなく(不生)
・滅することなく(不滅)
・常住でなく(不常)
・断滅でなく(不断)
・単一でなく(不一)
・複数でなく(不異)
・来ることなく(不来)
・去ることなく(不去)
加えて原因/結果、時間/空間、主体/客体も否認している…例えば生じることについて語るとき、それは「生じる」のではなく「変わる」のである…
▶︎中道
すべての概念を超越すること…龍樹は生じることについて考えるとき「変化」と「不生成」という言葉を持ち出し、それらの言葉も否定する…弁証法の狙いは真実を説明することではなく、変容を起こす危機的状況を作り出すことにある…
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