◼️Q1 – 植物なら食べてもいいの?
動物には「情感」があるから食べない…
著者の回答を要約すればそういうことになる…
苦しみを感じるか感じないかが線引きのポイントになる…
自分の知る限り植物は感じることはできてもそれを気にしないらしい…
科学的データを根拠にするのはどうだろう…
新たな解明次第で基準を変える事もありえる…
もっと直観的なもの…内側にあるもの…それを頼っていいのだと思う…
そこには客観的裏付けも潜んでいるように思える…
厳密には動物とか植物に拘っているわけではない
知らずに口にしている細菌などもいるのだろうし…
要は死を意識させる「個」(あるいは「私」なのかもしれない)の存在…
それは例えば動物→植物や微生物→鉱物の順にぼんやりしたものになる…
なかにはミドリムシやウイルスのように分類すら難しいものもいるわけだけど…
とにかく個がくっきりしてるほどその死は厳かなものになる…
直観的なものであり、人間の側からの主観的な感覚…
何を食べるかの境界線もぼんやりしたものであってきれいに線引きできるものではない…
おそらく人間は人間を食べたくない…最初の線引きはハッキリしている…
それをどこまで広げるか…個人差もあると思う…
植物が痛みを感じるとか感じないとか、そういう事実に左右されるものではない…
客観的に考えても、植物とは動物と並べて比較できる単体なのだろうか…
枯れても生まれる…収穫しても再生する…その殆どが同じものに見える…
何に何処に「個」をフォーカスできるだろうか…
「個」が曖昧だとその「死」も曖昧だ…
植物を食べることは「殺す」ことなのか?
さらに曖昧な鉱物…もはや生物でもなくなるが生物にとって不可欠なもの…
マグネシウム、カルシウム、亜鉛、鉄…
そこには「個」が欠落している…
「死」が欠落している…
栄養は太陽、水、大地などに起源を持っているように思える…
最初に食べられる栄養として形になるのが植物ではないだろうか…
単純に考えればそれを直接食べればいいだけの話…
私たちはそれで生きていける…
動物を口にするのはそれができないときの最終手段でありたい…
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[…] 食べないのは倫理的な理由ではない… それぞれの「個」を大事にしたいだけだ… […]