Mindfulness

▶︎『律小』(『毘尼日用切要』『沙弥律儀要略』『潙山警策』の3部構成)
禅の修行に関わる実際的なことが論じられている『毘尼日用切要』には偈頌という短い五十の詩句が綴られ、日常生活の行為にマインドフルネスのエネルギーを行き渡らせるよう誘う手を洗うときに呼び起こす偈頌は「水が両手の上を流れていくかけがえのない地球を保つためにどうかこの水をうまく使えますように

▶︎ マインドフルネス/sati
すべての存在に光をあてることとらわれのない状態で観ること気づき正念うっかり(忘念)生きていると夢を見ているあいだに死んでしまう(酔生夢死)仏教には実践すべき無数の「精妙な身振り(細行)」があり、そこにはマインドフルネスがあるマインドフルネスをもって行うことには「禅の香り」「禅の味」がある

▶︎ 三学
「戒/シータ」すべての存在に光をあてること
「定/サマーディ」集中力を生みだすこと
「慧/プラジュニャー」智慧(深い洞察と目覚め)をもたらすこと
戒の本質はマインドフルネス
戒を守ることはマインドフルネスであることの助けとなる
誤った理解は規則への固執(戒禁取見)を招く

▶︎菩提達磨の言葉
自己の本性を徹見すること(見性)この悟りに達した時、誤った見解がほどけ去り、静寂が訪れ、無畏(怖れが無いこと)の精神的力が生まれる菩提達磨にはこの深い洞察があった禅とは
・経典以外に、別に伝えられるものであり(教外別伝)
・言葉や文字によらず(不立文字)
・人の心を直接に指し示して(直指人心)
・自己の本性を徹見して、覚者(仏)になる(見性成仏)
禅は言葉や文字によらないもの(不立文字)であり、師から弟子へ「心から心へ(以心伝心)」直接伝えることしかできない「伝」という言葉は「心の印(心印)」を伝えることこれらは禅に限らず釈尊の教えに共通している

▶︎仏教の誕生
インドに仏教が誕生したのは、当時社会を支配していたバラモン教への反発だった仏教は神を嫌い、カースト制度と闘い、バラモン教の核心である「我(アートマン)」という考えを厳しく拒否した釈尊は「アートマン(我)」に対して「アナートマン(無我)」という教義を立てたそれは「我」という囚われから解放するための解毒剤であった

▶︎無我/無常
ものには「我」が無い(一切諸法無我)それは同一性(自性)を持たないということ…AAではない…ABであることはできる同一性を維持できない(無常)無常は無我の別名無常と無我は真理としてではなく深い智慧へと導く指導原理として学ばなくてはならない

▶︎インタービーイング
概念は静的で貧弱なのに対してものは動的で生きているものの発生/成長/衰退は単一ではない無数の要因/条件に依存しているひとつのもの(ダルマ/法)が存在しているということは、すべてのものが存在することを意味している概念は真理を表現するには不十分であり不適切である

▶︎経験そのもの
智慧は修行によってのみ得られるのであり、解脱は智慧によってのみ到達することができる
・「想像的・分別的知識(分別智)」概念による捉え方
・「非想像的・非分別的智慧(無分別智)」直に真実を経験する能力
智慧は瞑想によって得られる主体と客体の区別のない智そこには評価や分別はない

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

東南アジアといえばパーリ語の上座仏教(テーラワーダ仏教)だが、ベトナムだけは中国から伝わった大乗仏教であり漢訳の経典が読まれているおそらく師も漢字の経典を手にしてたのではないだろうか寺院を見ても、他の東南アジア諸国は円形で金色の仏塔が主流だが、ベトナムは瓦屋根建築で、大きく沿った隅棟は台湾や沖縄と重なる

1 thought on “Mindfulness”

Comments are closed.