STATE DI ECCEZIONE

例外状態

国の始まりと維持に関わる話
法の正当性または妥当性に関する話
そして今日の国家の在り方に関する話

ドイツでは動物の殺処分がゼロだと言われているが、野良猫は住民による処分に任されているらしい日本におけるネズミやゴキブリのようなものかそれはつまり対象を絞り込むことで殺処分ゼロを維持していることになる生政治も同じ生を囲い込むことで排除している

簡単な例
人間、脳死状態の人、動物
国民、外国人、難民

差異化/差別化することで「それ」が浮き彫りになる
例外を締め出すことで輪郭が浮かんでくる
除くことで囲い込む=囲い込むことで除外する
ひとつの行為であり表裏の関係

法は暴力の別の姿なのかもしれない
しかし法それ自体は「死文」のようなもの
法が働くためには例外化が必要になる
境界線は包摂的排除という方法で描かれる

法とは元々不自然なのであり、強引に宣言することで成立している
根拠はないないことが暴力性の裏付けになっている
それはシュミットにしろベンヤミンにしろ同じだ
ただシュミットは「内でも外でもある」ところに主権者を位置付ける
その主権者の実行(法措定)が法に或る意味お墨付きを与える

君主制であれ共和制であれ、安定した国家である限りそこには主権があるはず
主権とは国家における最高権力であり、国内統治と対外独立を担う権力のことだろう
民主国家においては支配というより役回りという気がする

君主制においては主権が問われることはなかった
根拠が問われなかったということ
民主政治において国民主権となり代理が主権行使する仕組みになった
国家権力の正当性/妥当性が主権に求められるようになる

例外状態においては君主制にしろ共和制にしろ誰かが主権者として現れる

法が作られ、法のもとに権力が行使される
権力をふたつに分けて考えるのが通例らしい
構成する権力=非合法的権力=法措定暴力=憲法を作る権力(=潜勢力)
構成される権力=合法的権力=法維持暴力=憲法に作られた権力(=現勢力)
法秩序を維持するためには外側(境界)に根拠めいたものがなくてはならない

アガンベンの潜勢力の例えがピンとこない
案外デリダの言葉の方が導いてくれる気がする
「法措定の瞬間は常に生起しているが、ある現前という形では決して生起しない」
「法措定とは約束である」
「法措定暴力は法維持暴力を包含しなければならず、手を切ることができない」
「純粋な法措定暴力は存在せず、純粋な法維持暴力も存在しない」
「措定作用とはすでに反復可能性であり自己を維持する反復を要求する」
なんとなく潜勢力の構図が見えてくるような
現前する暴力は常に維持暴力であり、措定暴力は表には出ない(宣言するだけ)
構成権力の宣言/約束によって内と外の機能がスウィッチするようなものか

常に境界には主権(構成権力)が在るとして
通常時においては内に法的秩序(被構成権力)、外は無法地帯というか隣国
例外時においては内に停止した法(国家)、外に軍隊など(被構成権力)
無法に近い政権はそれなりの振る舞いをする

構成権力は決定/約束し、根拠/基盤として存在する
法の宙吊りという言葉がよく使われる停止/繋留/温存眠らせること
例外状態とは国家の原初的状況とも考えられる

例外状態は常態化しているとアガンベンは言う

暴力性が法に姿を変えた国家が犇めき合い、世界が飽和状態にでもなっているかのようなイメージが想起されるかつての王政のようなトップダウン組織なら戦争/革命/内乱などの目に見える暴力によって新しい秩序が生まれていた世界大戦後、暴力が姿を潜めた今日の民主国家では新たな様相を見せている行き場のない飽和状態の暴力は人口を操作し、資源を奪い合う政治家は権力を持つほど国民の顔色を伺うようになり、ポピュリズムが幅を利かす小さな組織でもモンスターが増える暴力が消えないのなら、今後さらに見えにくくなり陰湿化していくのかもしれない

暴力は生命力じゃない
社会のあり方に依存しているんじゃないか