Carl Schmitt 1888-1985
Martin Heidegger 1889-1976
Antonio Gramsci 1891-1937
Walter Benjamin 1892-1940
以下シュミットの読み替え…
◆友/敵
社会の中で生きていると幾つもの立場/役割/境遇に立たされる…それらは敵/味方を作る可能性を常に孕んでいて、そこから政治は生まれる…権力をめぐって敵/味方が分かれるのではなく、敵/味方が権力を作る…シュミットは政治を正義とか道徳とは別領域のものと考えていた…善/美/益が味方で、悪/醜/害が敵にはならない…そして人類が存在する限り敵味方の関係は無くならない…つまり国家/政治/戦争は無くならない…主権は国家にあり…
◆民主主義/議会(自由主義)
民主主義は独裁と対立するものであり、議会とセットとして考えられている…しかし民主主義は独裁への可能性を常に秘めていて、議会とは本質的に別物と考えるべきである…民主主義の本質は政治的な同一性にあり、治者と被治者、国民と議会、多数と法の正当性等、それぞれが等しくなることを望む…しかしそのような同一性は擬制に過ぎない…まず選挙で選ばれた者が国民の意思を正確に代弁することはありえない…そして議会(自由主義)は権力分散を求めるものだが、民主主義は議会で多数が支配する世界を作りだす…議員は政党の投票マシンに成り下がり、議事の運営は密室で進められる…そして治者と被治者が同一であるかのような錯覚に支配され治者の暴走を止める者もいなくなる…
◆政治神学/主権者
ケルゼンによると、法律とは国家内部で自然発生的に高まった規範意識が形になったものとしているが、それは主権者が存在しないことと同義であり、予定調和的で神学を思わせる…しかしホッブズは法を作るのは権威だと言った…権威とは個人(に限らないが…)に備わるものであり、その権威あるもの(主権者)によって国家の外から規範が与えられる…主権者がその存在を明確に示すのは「例外状態」においてである…ケルゼンの政治論では「例外状態」で何もできない…ヴァイマールがいい例である…
◆例外状態/主権独裁
フランス革命までの独裁は委任独裁だった…しかしフランス革命はヨーロッパ史上初の主権独裁だった…例外状態とは、対外戦争や内部混乱によって発動され、主権者自らが独裁を行使し、法の縛りに囚われず国家に奉仕する…この行動は法形式には馴染まない…主権者は軍隊を通じてその意思を実現する…軍隊は執行機関、立法機関、司法機関、すべてを行う万能機関となる…シュミットの時代のヴァイマール憲法でも戒厳令の規定はあった…しかしヴァイマール憲法の主権者は国民であり、大統領の独裁は委任独裁だったと考えられる…シュミットは権限が制限される委任独裁に対して危機感を抱いていた…
擬制という言葉は言い当てているのだと思う…誰もが薄々感じていながら仕方ないと思っている…ただそれを立派な理念で包むのはどうだろう…事実は理念から遠のいていないか…自由が奪われるとして社会主義は批判されるが、民主主義は自ら同一化を志向するらしい…
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