ベンヤミンの暴力論を自分なりに読み換えると…
◆自然法
おそらく狩猟採集時代の小さな集団では何らかの規則めいたもの、つまりしきたりとか慣習とかそういうものが自然に発生して集団の維持を可能にしていたのだと思う…「自然法」があるとすればそういうものではないだろうか…大きな集団での複雑に構築された「法」はすでに自然とはいえない…
◆自然な暴力(自然法的な暴力)
他種との生きるための対立がある…殺されないための抵抗であったり食べるための捕獲だったり…同種ではホッブズの言うようにはならないと思う…同種が暴力を使うのは所有などが意識されてからではないか…つまり「法」ができてからではないだろうか…同種の自然な暴力は喧嘩などに過ぎず原始的な状態でも現代社会でも通常は問題にはならないだろう…ただし一旦大きな社会が作られた状態から秩序が維持されない状態になったらホッブズの言う自然状態があらわれるかもしれない…
◆合法的暴力(実定法的な暴力)
合法として認められている暴力のことだろう…犯罪やテロ以外の暴力…軍隊や警察の正当防衛などだろうか(戦争自体は合法とはいえないと思う)…
結局問題になるような暴力とは法的な暴力のことだ…合法だろうが法外だろうが暴力とは法によって生まれる…ではその正当性の根拠はどこにあるのか…合法ならいいとするならその合法性は何によって承認/保証されているのか…法は自身が発動する暴力の根拠を己以外に求めないといけない…根拠が外にある事態…それは常に正当性を示すことができない状況でありなおかつ正当性が怯やかされる事態だといえる…ベンヤミンは暴力の本質を「法関係を確定/修正する機能」としている…法は正当性を担保するために戦争等によってこの機能を手に入れ、支配している人々からこの機能を取り上げる…
◆法措定的暴力
戦争での勝利や革命などによる政権奪取は法の正当性を担保するように思える…論理的な意味合いはない…力で奪い取ること…
◆法維持的暴力
法のもとに服従させる脅迫的な暴力…罰則をかざして監視、さらには死刑という見せしめ等…力で支配すること…
◆神話的暴力
法措定的暴力と法維持的暴力のこと…つまり法であり暴力のこと…暴力は法という衣を着ることで権力と同化し暴力を正当化する…根拠も裏付けもなくただ宣告される…
◆神的暴力
神話的暴力と対峙するもの…神話的暴力が作った法を神的暴力は破壊する…血の匂いのない非暴力的暴力…ベンヤミンは「戒律」を例とし挙げる…「戒律」は処罰への恐怖で遵守を促すことはない…行為を裁くこともない…
ベンヤミンは「法=暴力」と言っている…常に暴力に結びつくようなある種の力学を想定するなら「法≑暴力」のようにも感じられる…そして神的暴力は「倫理観」と言い換えてよくないだろうか…ソローは政府に対して便宜的なもの以上のことを望まなかった…お金にしろ法にしろ力を持つことで何か違うものに変質してしまう…大きな社会では避けられないことなのか…
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