なぜ「奇跡の丘」に出演してるのか…
調べてもそこだけは分からず…
入門書の冒頭を読むと…
体外受精で余った胚細胞の研究利用は可能か…そのような細胞は死なすべきなのか…死なすとは殺すことなのか…そもそも生まれていないのだから殺していないのか…生や死は定義上の問題に過ぎないのか…人間とはなにか…今日それを定義できるのは神学者でも哲学者でも科学者でもない…国家(法)しかない…人間の生は法の問題に転嫁され益々政治化する…では今日の大きな問題である難民はどうだろう…法による定義とは対照的に人間の生が法の領域から遠ざけられる事態を招いている…それは未開人として扱われることに等しい…
古代ローマ…誰でもホモ・サケルを殺害して構わなかった…しかし神への犠牲に供することは許されなかった…ホモ・サケルは法の外に存在する「剥き出しの生」…例外状態を体現している…アガンベンは人間の生の聖なる特性が殺害可能性と結びついていることをホモ・サケルを通して証明した…「人間という言葉の内実を、その問いの意味そのものがすっかり変容してしまうような地点にまで踏み込んで考察して、取り戻してこなくてはならない」
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極の部分の話として分けて考えることもできる…生は相変わらず自分たちの認識の中に自明なものとしてあるのだと…ただハラリの言う虚構(国家、法律)によって生が規定或いは維持管理されている現実が確かにある…いわゆる生-政治なのかもしれない…剥き出しの生とは法に漏れた生であり法あっての生…生物学的な生ではなく法的な生…