◾️ 第5章 GDPの大いなる詐術
GDPとは一定期間内に国が生産する付加価値の総計…経済が良好であるかを示す指標として重視されている…しかし家事やボランティアなどの給与のない無償労働はここには含まれない…スマホが高精度で安価になっても技術の進歩を数字にできるわけでもない…逆に環境汚染や病気、犯罪などはGDPにとっては多いほど良い結果になる…そして格差や負債には無関心だ…GDPが示す経済成長は、ここ30年以上にわたって暮らしが向上する指標にはなっていない…
1930年代、アメリカではクズネッツがGDPの基礎となるものを築いた…彼の報告書は出版されベストセラーとなり「経済」や「国民所得」という言葉が巷で聞かれるようになる…また第2次世界大戦においてGDPが戦時における国力の優れた指標であることを示した…GDPは不況と戦争の残骸の中から進歩を測る究極の尺度としてその地位を確立していく…1950年代になると「経済」を「成長」させるという新しい目標が考案された…経済学者の言葉が新聞紙上に欠かせないものとなり、政治家は経済学に基づいて実行する人と思われるようになる…
過去を振り返ると、収穫量や採炭量や工業製品の量など、それぞれの時代に見合った経済指標があった…第2次世界大戦が終わった現在、GDPはすでに時代遅れとなっているにも関わらず今だに効率と収益を追いかけている…ブータン国王は国民総幸福量を提案したが、幸福の定量化は恣意的なものに過ぎない…また、暮らしの中には効率化を拒否するものもある…芸術、医療、教育、安全などは効率性よりも内容の充実を図るべきだろう…コストだけを考えていては見えてこない…人生を価値あるものにする指標とは何か…この時代に見合った導きとなる新しい数字とは何か…
◾️ 第6章 ケインズが予測した週十五時間労働の時代
ケインズは「2030年、人類は最大の難関に直面する…それは膨大な余暇をどう扱うかだ」と予測した…ミルも富が最大限活用されれば労働短縮により有意義な時間が増加すると予測した…産業革命は余暇とは全く逆のものをもたらしたが、繁栄は徐々に時間を生み出す…巷では自由な時間は堕落につながると囁かれたりもした…アシモフは退屈が蔓延し強制された余暇によって精神を患うとさえ言った…懸念の声はほどなくして一掃される…1980年代になると、労働時間短縮の傾向は終わりを告げる…発展は女性の解放をもたらした…職場の女性進出と家事分担は子育てに費やす時間を以前よりも増やす結果となり、逆に時間が足りない状況を作り出した…現実は多くの予言通りにはならなかった…私たちは退屈していない…
皮肉にも現代の私たちより中世の人々の方が時間に余裕があった…彼らは生きていくのに必要な以上には働かなかったからだ…今日の経済成長は余暇を生むと同時に消費を生み出す…消費にはお金が必要だ…借金をしてまで消費に費やす…労働時間を減らすだけの余裕はなかった…しかしフォードは労働時間短縮が従業員の生産性を高めることに気づいていた…真の余暇によって短時間でも生産性は向上する…生産性と長時間労働に相関性はない…さらに労働時間短縮は様々な問題を解決する…幸福度の向上、二酸化炭素排出量の軽減、ミスの軽減、職の分配、格差の軽減…現在私たちは時間がないことをステイタスとしつつあり、時間があることは失業や怠惰と同一視する傾向にあるが、それは往往にして格差が広がっている国に見られることである…
現在の働きすぎの国では、人々は呆れるほど酒を飲み、呆れるほどテレビを見ている…本物の余暇は贅沢でも堕落でもない…死の床にある人があともう少し働きたかったとか、あともう少しテレビを見たかったとは言わないだろう…21世紀の教育は人生をいかに生きるかを教えなければならない…私たちは十分な時間さえあれば良い人生を導くことができる…
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現代人は忙しい…時間があることは悪や愚であるかのようだ…
携帯端末は相互管理システムとなり私たちの時間を奪う
仕事以外も忙しくなり、1人で何役も熟さないといけない
そして楽に没頭できるツール(SNS、酒、テレビ、ゲーム)にすがる
欲が消費を作る…消費が欲を作る…そうやって社会が維持されている
買わなくても生きていけるのに買う
買うことで満たされる
買うことで皆と同じ空気が吸える
時間もお金も無くなる…
[…] https://hitkeas.com/2018/09/22/utopia-4/ […]