Social Security

■ スウェーデン

スウェーデンは中世から厳しい自然環境下でがはあるが農業を生活の糧としていた…小作人や農奴のいない自作農が主流だった…しかし18世紀後半から地主による囲い込み運動により農業労働者が急増…同時に貧困者も増加する…イギリスよりも遅かったが救貧法が制定される…内容はイギリスとほぼ変わらなかったが、ワークハウスのような強制労働施設はなく相互扶助的な要素が強かった…19世紀になると鉱業や鉄鋼業、製材業などの工業化が進み、同時に貧困者の増加や労働条件の悪化が問題となる…

▶︎挙家移民
19世紀の半ば、スウェーデンでは出生率が増加…大凶作と農業不況そして恐慌も手伝って、溢れた人々が一家でアメリカへ渡る事態が起きた…およそ40年の期間で人口の1/4が移民として流出…ただし移民の内訳は若い家族であり、その親は本国に残ることになった…高齢者対策が社会問題となる…国民の社会保障に対する関心や連帯感が高まる…

1913 老齢年金(スウェーデン初の社会保険制度)
1934 失業保険
1935 家族手当(児童手当)
被保険者を労働者だけでなく、農民や働いていない国民にも広げたことが特色として挙げられる…20世紀に入ってからは社会民主主義政党であるスウェーデン社会民主労働党が第一党として政権を担う

▶︎政治家メーレルによる「国民の家」構想(福祉国家の設計図)
スウェーデン独自の経済思想に基づくものであり、ヴィクセルやミュルダールなどのストックホルム学派の思想を受け入れたもの…国が積極的に支出し生活保障を図り、景気対策によって完全雇用の達成を提唱した…景気対策はスウェーデン独自のものであり、ケインズの提唱よりも早く実践していた…

▶︎子育て支援
他国にさきがけて家族支援制度が制定された…ミュルダール夫妻の貢献は大きい…イギリスのウェッブ夫妻と並び称される…第二次世界大戦前におけるスウェーデンの人口増加率の低下に注目し、子育て支援による出生率の減少を阻止することの重要性を説いた…児童手当や教育費支出の増加、働く女性の支援を主張…これらは戦後に実践された…

▶︎第二次世界大戦後
第二次世界大戦においてスウェーデンは中立を貫いた…参戦した他国に比べて経済へのダメージもなく(むしろ軍需産業で稼いだらしいが…)戦前からの構想である福祉に資金を投入することができた…現在まで国民の間には福祉国家であることに合意があり、政府もそれに応えるべく制度の改革を行なっている…一見社会主義国家のようだが、民間経済の活性化も重視されていて、民間経済の繁栄は福祉の条件として捉えられている…

▶︎その他特色
税と保険料のバランスは7−3であり、隣国デンマーク(ほぼ税収)と大きく異なっている…社会保険料は拠出と給付が見通せるメリットがある…
企画は中央政府が行うが、福祉サービスの実施は地方に任される…例えば病院や介護施設は地方政府の担当である…スウェーデンではランスティングなど独自の地方自治体が医療などを担っている…

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フーコーが1955年(29歳)スウェーデンに赴任している…そこでの経験が『狂気の歴史』につながっているらしい…今日スウェーデンは福祉国家として評価される一方、離婚率の高さを含め家族の問題が指摘されている…もともと在るのは国ではなく家族を中心とした身近な繋がり…多くを国の支援に任せることが何を意味するのか…