Social Security

■ ドイツ

フランク王国分裂後…
962 神聖ローマ帝国誕生(領邦国家が徐々に形成)
1618-1648 三十年戦争(神聖ローマ帝国事実上の解体、プロイセン台頭)
1701 プロイセン王国成立
1789-1799 フランス革命
1803-1815 ナポレオン戦争(神聖ローマ帝国消滅、ウィーン体制へ)
1848 諸国民の春(ウィーン体制の崩壊)
1870-1871 普仏戦争(ドイツ産業革命の到来)
1871-1918 ドイツ帝国(統一国家の成立、14-18 第一次世界大戦)
1919-1933 ヴァイマル共和政
1933-1945 ナチスドイツ(39-45 第二次世界大戦)
1990 ドイツ再統一

統一国家成立までドイツには中央からの救貧立法はなかった…領邦国家による統治の分散、ギルド等による相互扶助制度の存在、産業革命が遅かったことなどが理由に挙げられる…産業革命後は過酷な労働やマルクス主義の台頭を受け労働運動が活発化する…危険を伴う労働に対する補償制度や、企業独自の疾病金庫や年金金庫などの導入など、国家による社会保障制度への下準備が進みつつあった…

▶︎ビスマルクの社会保険制度(世界初の社会保険制度)
1883 医療保険
1884 労災保険
1889 年金保険
下記のような特徴をもつ…
1)比例拠出/比例給付
2)工場労働者などブルーカラー中心に制定
3)失業保険はなかった(1927年導入)
社会主義=マルクス主義=労働者側の思想であり、ビスマルクは社会保険制度によって労働条件を向上(アメ)させる一方、社会主義者取締法によって労働運動の鎮圧(ムチ)を行った…

▶︎第一次世界大戦後
1918年に公的医療保険制度は大幅に拡充され、1927年には失業保険制度が導入された…社会政策は「黄金の1920年代」と称されるほどの成功を収める…しかし1929年のアメリカに端を発する世界恐慌によって失業者が急増…失業保険制度の見直しを行ったが失敗に終わる…1930年にヴァイマル政府は倒れ、1932年にはナチスが台頭する…ナチスは児童手当を導入し、さらに年金保険/医療保険の充実を図った…またヒトラーの軍事拡張路線は雇用を生み経済を活性化させた

▶︎第二次世界大戦後
東西ドイツに分かれ、西ドイツではビスマルクやヴァイマル時代の社会政策を再度導入する…西ドイツは戦後結成のキリスト教民主同盟(CDU)とヴァイマル政権も担っていたドイツ社会民主党(SPD)が2大政党となる…特にCDUは統一前後をコール、現代までの長期政権をメルケルが首相となりドイツの中心政権を担っている…特徴は「社会的市場経済」であり自由な市場を政府が背後から支援する体制…自由市場経済と福祉国家の両立を目指している…

▶︎介護保険
戦後の社会保険制度において特筆すべきは1994年制定の介護保険であり、日本が導入モデルとしたのもドイツの介護保険…高齢化、女性の社会進出による介護者不足、介護費用の増大などが要因としてあげられる…極めて現代的な要求の中で生まれた…ドイツは医療保険が強制ではなく民間保険もあるため、介護保険は公的保険と民間保険のいずれかの強制保険となっている…可能な限り身近で小さな組織による負担を推奨する「補完性の原理」を基本原則としている…

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福祉が労働者を管理/操作するためにあるということが見え隠れする…ナチスが福祉の充実を図っていたことはあまり知られていないのではないだろうか…