Social Security

■ イギリス 2 / 2

1911年 国民保険法
1914〜1918年 第一次世界大戦
(1916年 ロイド・ジョージ政権誕生)
1939〜1945年 第二次世界大戦
(1940年 チャーチル政権誕生)
1942年 ベヴァリッジ報告
(1945年 アトリー政権誕生)
(1979年 サッチャー政権誕生)
(1997年 ブレア政権誕生)

王立委員会の少数派の主張が影響をもつようになる…公的扶助である救貧法から社会保険制度としての国民保険法へ…

▶︎国民保険法
ロイド・ジョージがドイツ調査を経て提案/成立させた…労働者/雇用主/国家の3者負担による健康保険と失業保険…強制としては、健康保険はドイツに次ぐものであり、失業保険は世界初…拠出も給付も低い定額制…1929年に救貧法は廃止され、変わって1931年の過渡手当、1934年の失業扶助制度により国税による失業対策が導入された…1946年の改正を経て出産給付、退職年金、寡婦給付なども追加制定…

▶︎ベヴァリッジ報告
チャーチルの依頼で発足した委員会による報告書…ベヴァリッジを中心とした官僚によって作成/出版された…「ゆりかごから墓場まで」という言葉の由来となる…以下の要点が挙げられる…
1)ナショナルミニマムを根幹とした福祉国家の指針
2)原則として定額の拠出と給付(任意保険の提唱あり)
3)過渡手当/失業扶助制度に変わる、働けない人も含めた所得保障
4)15歳ないし16歳以下の児童に対する手当の支給
5)税金を財源とした医療給付制度(NHSの起源)

戦後のイギリスを含めたヨーロッパ経済は強かったが、60年代からの経済不振により福祉制度への批判が高まった…インフレと失業が同時に発生するスタグフレーションにも見舞われる…労働党政権からサッチャーの保守党政権へ…ケインズ経済学を捨てハイエク/フリードマンのリバタリアニズムへ…規制緩和/民営化/福祉削減…サッチャー政権は立て直しに成功したが、次第に負の側面も目立ってくる…貧富の格差/失業/犯罪…労働党のブレア政権へ…第3の道による先進国病からの脱却…

▶︎フェビアン協会/社会民主主義
大きな政府による福祉国家が基本…社会保険制度ではなく税収による財源確保を推奨していた…戦後のアトリー政権ではメイン産業の国有化などを実現…マルクスよりも晩年のミルの影響が強く、自由を前提(制限ではなく)とした共有と分配を理想とした…

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社会民主主義とは漸進的に社会主義へと改革を進める思想…ただし共産主義/無政府と目指すところは違う…マルクスは労働者による革命を経て社会主義→共産主義つまり無政府という流れ…無政府主義は間の過程を省いて一気に無政府という流れ…社会民主主義は産業の国有化と再分配が基本なので、国家中心の構造になる…漸進的という言葉は革命のような暴力を否定するという意味合いがあるのだろう…

サッチャーはロックの標的だった…アーティストのインタビューといえば自分の出身が中流階級だとか労働者階級だとか、必ずそんな話から始まってたことを思い出す…

バーナード・ショー
ヴィーガンのなかでは雄弁な人だ