お金は生きるために必要なものではない…食べることも雨風を凌ぐこともできない…全く役に立たない…価値があるのはお金の方ではない…お金はいわば数字でしかない…価値を計る数字…無機的な量…お金は数字と媒体と人間側の信用で成り立っている…最初は貝殻や金で信用を得ていたが、やがて兌換紙幣を経由して今では電子データが幅を利かしている…シルビオゲゼルは劣化するお金を提案していたが、電子データとなれば、時間とともに自動で数字が減る仕様になるということだろうか…スタンプとかの煩わしさもなくなる…
電子データには本体がない…システムの中の何らかの記号でしかないのだろう…それ自体というものは存在せず、ルールの中でのみ浮かび上がる何か…それは法定通貨にしろ、仮想通貨にしろ同じことだと思う…
銀行の預金は「口座」の中にある…口座という単位の中でひとつのフラットな量として存在していて、現金化すると紙幣や硬貨という物質的単位に合わせて価値が分割される…仮想通貨の在り処は「ウォレット」とされている…取引所、ウェブ上、パソコン内など、様々な場所に保管できる…しかしそこにあるのはシークレットキーであり、仮想通貨そのものではない…仮想通貨そのものは恐らくブロックチェーンというシステムの中にしかない記号なのだろう…自立したものではない…銀行の預金も同じようなものではないだろうか…いずれにしろ電子データに自立した本体はない…あるのはシステムであり、データにアクセスできる口座番号(アドレス)や暗証番号(秘密鍵)があるだけだ…
仮想通貨の注目できる点の一つは銀行のように一元管理ではなく利用者による相互監視システムが使われていること…報酬(コイン発行)を得られるマイニング(採掘/追記/承認)によって信頼を担保している…ビットコインやイーサリアムがこの技術を採用している(リップルは一元管理の別の技術を採用している)…中央集権ではない構造には可能性を感じる…反面、協力者が全く見えない怖さもある…
もうひとつの注目は法定通貨でないこと…国籍を持たない通貨…ほとんどブランド化していて種類も多いが、国のお墨付きが無いぶん強制力に欠け、信用を得るには至っていない…お金が現金からも国からも解放されたらどうなるのだろうか…ハラリの言う虚構(神、国、お金…)は生き続けるものなのか、消えてゆくものなのか…