Krishnamurti

✤ THIRD DAY

なぜ罠に捕われたまま変わることができないのか…
古くから「汝を知れ」と言われてきた…
インドでもギリシアでも…
現代の哲学者も同じことを言おうとしているが伝わってはいない

自分が何者か、死とは何か、愛とは何か…
その探求には自由と鋭い精神が必要…
自由に探求するとき、その人にはエネルギーがある
結論に至った人にはエネルギーも意欲も集中力もない

私たちは孤立した存在ではない
だから私たちは関係の中でのみ観察することができる
自分をとりまくあらゆるものとの関係の中で自分が見つかる

自分を分析すると、観察者と対象としての自分がいる
ありのままの自分を見るためには観察者(検閲者)は要らない
ただ観察する…フィルタなしにありのままを見る…

変えたいというエネルギーの本質は自由を求めること
自由には規律が求められる
規律とは学ぶということ

生きるとは何かを知るためには…
まず愛や死とは何かを知らなくてはならない

死とは馴染みのものを手放すこと
何も反論せず、何の抵抗もなく手放すこと
愛は常に新しいもの…死のないところに愛はない

なぜセックスが重要になってしまったか…
そこでしか自由を見出せないから…

努力は矛盾を含んでいる
「現にあるもの」に対立する「あるべきもの」…矛盾するもの…
対立するものから自由になるとき努力は必要なくなる
努力とは歪めること
努力を推奨する教育には災いと悲惨さがある