Foucault

『性の歴史』ほか講義集成
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1『知への意志』

ヴィクトリア朝時代、正当な性とは夫婦間の性であり、それ以外の性は抑圧されていると思われた…果たしてそうか…
16世紀以降、キリスト教においては欲望すら戒めるべきものとされ、告解での告白が強要されていた…17世紀に入り、性の告白は教会から権力を行使する場(家族、学校、病院…)へと広がり、自然と家族友人隣人はお互い監視し合うようになる
性の知識と関心は子供達をも巻き込み自慰や性倒錯の発見と抑圧へと導かれる
様々な性のあり方がコード化(分類)され、生殖とは異なる性倒錯が区別され、矯正されるべきものとして認知されるようになる
性に対する言説は抑圧されていたわけではなく、むしろ扇動され管理されていた…
権力によって隠されるものを暴く快楽、逆にくぐり抜ける快楽…
そこには社会全体としての必然性もあった
性の問題は優秀な種の保存と結びつく
また、国力に結びつく出生率にも関係してくる

▶︎生-権力 生かす権力
権力のモデルとして、規律権力だけではなく「生-権力」が誕生する
法と契約による外部権力だけではなく、自ら生きようとする有機的な内部権力
人々を調教し、道徳的な主体へ導くだけではなく、
欲望を掻き立て、自ら管理調整する権力
「生-権力」は性(セクシュアリテ)を通じて支配する
個人は性(セクシュアリテ)において管理される
支配者は姿を消し、権力は存続のための集団の力学の中で生き続ける

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*講義『社会を守れ』『治安・領土・住民』ほか

生-権力は住民の生活と幸福に配慮する…福祉国家の誕生
しかしこの福祉国家は戦争という国家規模の大量殺戮に結びつく…ナチス
どのようなからくりなのか…

統治には大義名分があり、時代による変遷が見られる
統治が正当であるかどうかの判断基準みたいなものだ
ローマ帝国…「神の法/自然の法/人間の法」…神の権威に基づく
中世イタリア…「君主至上主義」…神学的原理の放棄(マキャヴェッリ)
ポリス/ポリツァイ…「国家理性/レゾンデタ」…自己保存のみ(安全、健康)
ナチズムそして福祉国家…「生-権力」…
さらに権力構造を探るなか、キリスト教の「司牧者権力」にたどり着く
奇しくも「司牧者権力」と「生-権力」の構造は酷似していた…

「司牧者」という言葉はヘブライ民族やエジプト王国において、司祭と羊飼いを合わせた意味として使われた…指導者は羊飼い、民は羊
司牧は民の幸福を確保し、生活を保障する…道徳的役割を果たす
この司牧者権力がキリスト教に導入されるとき、羊飼いの役目が変わる
今生きている民の幸福を気遣うのではなく、信者のあの世での救済にすり替えた
ニーチェの言う「約束するのみ」というものだろう
つまり信者の幸福を装うだけということ

フーコーは福祉国家とキリスト教の権力構造は同じだという
果たしてそうだろうか…

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2『快楽の活用』古代ギリシアの性道徳

実存の美学(↓この言葉、姿勢、態度…そういうことなのだと思う)
人が自ら行動の規則を定めるだけではなく、自らを変え、固有のあり方において自己を変貌させ、自己の生を美的な価値を持つとともに、生きかたのスタイルについての特定の基準に適ったひとつの作品に作り上げようと務める…

この時期にゲイであることをカミングアウトしている

自己の統治(すべて男性目線での考察だが…)
性の営み自体…キリスト教のように恥ずべき隠すべきものではない
夫婦の営み…夫婦間で快楽を求めるべきではない…快楽は外でならOK
同性愛(少年愛)…キリスト教では厳禁だが、ギリシアではOKだった
現代で認められていないことも、自己統治の範囲内において認められている…中でも少年愛は現代へ通ずるキーワードとなっている

少年のアンチノミー
ギリシアでは男性は支配する側、肯定的主体的立場に就くことが求められていた…しかし同性愛において、将来支配的立場に就くであろう少年は、女性や奴隷のような受動的立場におかれる…これは道徳的に解き難い難問となるプラトンはこの問題を問題として維持しながら解決を試みたらしい
エロスによってイデアへの道(真理への道)へ進む方法…(←さっぱり分からん)

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3『自己への配慮』古代ローマの性道徳

自己の身体への配慮
ローマにおいて他者の支配はギリシア時代より重要ではなくなっている
性的な営みにおいてもギリシア時代より禁欲的となっていた
刹那的なものではなく、自己の陶冶により安定した快楽を求めようとした

夫婦愛
ギリシアに比べ、夫婦の関係は相互的な絆とみなされた
姦通は自己の修練を怠った恥ずべき行為となった

同性愛
少年のアンチノミーは重要性を失っていた
性の営みは夫婦という関係に限るべきだとされた
男女とも純潔を守ることが美しいとされた

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4『肉の告白』

キリスト教の「自己の解釈学」
告白は他者に告げなくてはならず、自己の完全な放棄を伴うものだった
告白は、自己の内面を詳細に分析、解読する技術が求められた

司牧者権力は他者の救済を目的としながら、自己の支配を貫徹する
生-権力は生を目的としながら、生者に死を命じる